
リレー随筆
知命にいたりて同窓会楽し
トロント日本商工会 会長
Mitsui & Co. (Canada) Ltd. 渡邉清孝

「福岡県久留米市立御井小学校昭和36年卒業『2組』同窓会案内」が、今年もわざわざ、このカナダまで送られてきました。毎年8月の旧盆の季節に田舎の久留米で開催される同窓会の案内です。
この種の同窓会が急に増えたのは、私の場合は50歳に近づいてからのことと思い出されます。勿論、その前にも色々な同窓会があったものの、個人差はあると思いますが、私の経験では50歳に近づいてから増えてきたとの印象が強く残っています。
決して50歳になって突然悟りを開き人付き合いが良くなったわけでもないし、また、他人様に可愛がられる立派な性格でもありません。逆に仕事の事だけ言えば若いとき以上に忙しくなって来ており、自由になる時間が減り、田舎との距離は遠くなったと思うのですが、とにかく同窓会は身近になり増えました。
幸いにして、と一面ではいえると思いますが、私は幼稚園から大学まで(職場もですが)、転校や退学などの経験が皆無で、田舎に住んでいたので、幼稚園・小学校はクラス替えも無く、全員がお互いのことを知りすぎる程知っていました。特に小学校は6年間で担任の先生2人しか替わらず、極めて家族的で今の小学校ではとても想像できないと思います。その中、良い意味での喧嘩は沢山しましたが、イジメも無くおおらかで楽しい思い出しか残っていません。
その後、中学・高校・大学と進むにつれて色々なタイプの仲間が出来、青春を謳歌し違う形の楽しい思い出が沢山できました。
しかしながら、卒業後はそれぞれ仲の良かったグループとは継続して付き合ってきましたが、同窓会となると、何となく欠席してきました(物理的に出席できない事も多かったのですが)。出席し会いたい人は、男女を問わず沢山いたのですが、何故か素直になれず気恥ずかしいのかいつも欠席でした。
その理由を考えるに、若い時はまだ「色気」があったというのが私自身の結論です。広い意味での「色気」ですのでいろいろ考えられます。例えば、大学の同窓会の場合は、学園紛争華やかな時期の卒業でもあり、学生時代には青臭い議論をお互いに体を張って戦わしていただけに、卒業後は就職しお互いにどのような顔をして会ったらいいのか解らなかったのだと思います。そんなことを考える事は全く意味無いことが、年とともに解ってくるのですが。
50歳ぐらいになると、ある程度人生観も固まり、愛でるものも変化します。職場でも、脂ぎったところが無くなり、又一方では人生も大体見えてくるので、変に片意地張ることもなくなりました。そのころになると同窓会の案内が急に増えてきて、出席し楽しめるようになって来ました。
冒頭の案内状にも「今年は行けないが、来年は必ず行くから」と返事しました。
次回の執筆は、ソニーカナダの酒井社長にお願いしております。
≪著者プロフィール≫
渡邉清孝
福岡県久留米市生まれで、 大学入学ではじめて上京。三井物産に入社後、勤務地は東京と北米のみと恵まれました。子供は娘ばかりの3人で、長女と次女は働いており、三女が大学生。三人とも未婚で東京に残しており若干心配。
現在は妻とトロント生活をエンジョイしています。 |
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