リレー随筆

「時代と半生をふり返って」

Toyota Canada Inc. 富川 謙司


8月のある日、残業を終えて帰宅。夕食のあと久びさにNHK番組をみていたら、横浜国大グリークラブのOBの方々が北原白秋の歌をうたっている。あきらかに全員熟高年の男声合唱でしたが、皆さん、往年のノドをしっかり維持しておられる。聴く耳には、白秋の自然を愛で、ひとを愛する詩情が見事に表現されているように感じました。

合唱。今の日本では衰退しつつある共同の営み。学生時代、160人からなる男ばかりの大学合唱団に籍をおき、貧乏で粗野な生活の連続でしたが、思いっきり自分たちをぶつけ合うことができた時代。テレビをみながら、そんな学生時代に想いをはせました。あれから30余年。歌を忘れたカナリヤではありませんが、あのころの仲間との心の交流に酔いしれる、純粋なこころや体験をすっかり忘れかけた、今の自分にあらためて気づきました。

私が学生時代に読み、心に焼きついた言葉があります。

ひとつはサン・テグジュペリの「星の王子様」の序文にある「大人はだれもが子供だった。しかし、そのことを覚えている大人はいない」です。もうひとつはジャン・ジャック・ルソーの「エミール」(でしたっけ?)の「トンボ取りが好きな子供は、たとえ風や雨の日でも、親に止められても、トンボ取りに飛び出していく。しかしある日、親に、さあ出かけなさい。きょうは最低10匹は取ってらっしゃい、と命じられたとき、その子は途端にトンボ取りが嫌いになってしまう」というものです。

ルソーもテグジュペリや白秋も、それぞれの時代のなかで、文明とか社会とかによって、愛だとか情熱だとか、本来人間がもって生まれたものが損なわれていくことを憂い、警鐘を鳴らしました。高度の文明や科学、経済活動に生きる現代はどうでしょうか。もっと悲惨な状況が一方で生まれつつあります。とくに日本をみるとき、疎外された人間集団がより大きな比重をしめつつあります。古来日本人が誇り、日本というすぐれた国をつくりあげてきた、美しいものを透視するこころ、仲間と力をあわせて一緒に何かをつくりあげるよろこび、ひとに喜ばれることへのよろこびとかが薄れてきて、全体に「フツーの国」に成り下がりつつあるのではないか、と思ったりします。それぞれの時代は大きな歴史の流れのなかで、さらに大きく変質してきてはいないでしょうか。

私の生活時間の大半は会社です。白秋の合唱を聴きながら、自分について考えさせられました。自動車の販売というひとつの世界で、カナダというこの国で、歴史のうねりに逆らってみたい。心の交流、ともに支えあうよろこび、といったものを少しでも多く体感し、自分なりの生きがいを実感してみたい。仲間やお客様の多くとこうしたことを分かち合えたらすばらしいなあと、めずらしくまじめな気持にさせられました。


次回は カナダみずほコーポレート銀行の渡辺社長に執筆をお願い致します。  


≪著者プロフィール≫
富川謙司  
愛知県の山林(当時)に生まれ、6人兄弟の末っ子、自然児(と言われた)として育つ。トヨタ自動車入社以来、一貫して海外を担当。駐在経験はマニラ(95年から96年7月)とトロント(96年9月から99年末、および02年から再赴任)の2箇所。子供は一男一女で、すでに会社勤務(2人とも未婚)。昨年8月から家内もトロントへ合流。単身会を脱会、今日に至る。


戻る