リレー随筆

「銀行員の独り言」

Mizuho Corporate Bank (Canada) 渡辺 淳


朝露に濡れた新緑がきらきら輝く、ハドソン川を見下ろす朝のテラスで、ヒンヤリとした肌に心地よい風を感じながら、僕は話し始めた。

「又、昔の話になってしまうね。若い頃、アメリカから帰って審査部というところに配属になって、事業調査の仕事をしてたことがあってね。ほとんど毎晩深夜迄残業して、土日もないような生活だったけれども、銀行員としての基礎が心底沁みついた時期だったような気がするな。会社の沿革や事業の成り立ちを調べて、生産効率はどうか、販売戦略・実績はどうかといった細かなことも含めて分析していくのさ。勿論実査と称して生産の現場である工場にも行くし、流通業であれば最前線のお店に行って店長さんからも話を聞いたりしてね。若い女性向けファッション専門店チェーンの調査も興味深かったよ。結局調査の過程で粉飾決算なんかも出て来て、残念ながら後で倒産しちゃったけどね。山形県の田舎でプリント基板の配線工場を見た時には、月給7万円のおばちゃんパワーに圧倒されたな。牧場に実地調査に行って、乳牛は資産として償却するけど、肉牛は増価していくなんてことも初めて勉強したっけ。エレクトロ・ルミネッセンスについて技術の勉強しにヒアリングして回った時には、最初チンプンカンプンで大いに困った思いもしたね。一方で、インドの片田舎で石炭の地下炭鉱に潜った時に、傍にいた坑夫が煙草を吸い出したのにはたまげたな。流石に命が縮んだね。案件の最後には、若い身空で経営者の方々に会う機会が必ずあって、経営についての話を聴いたりして、本当にいい経験になったね。

財務分析?勿論するさ。でも、それは全体のごく一部で、企業や事業の本当の姿を見極める為の道具に過ぎないんだよ。そう、大事なのは過去の数字の分析だけでは決して出て来ない将来の本当の姿を見極めていく、ということかな。事業の現場を数字と対比しながら見る経験を積むことでやがて比較感ができて、それが本物を見抜く力の基礎になっていくんだ。」

「ふーん、そうなんだ」と言いながら、彼女が、できたて、熱々の僕の大好物であるチーズ入りハムオムレツと、これも昨日買ってきたばかりのキリマンジャロをベースにした、僕お気に入りのカプチーノを運んで来てくれる。そう、彼女は妻公認の僕のお友達で、ニューヨーク郊外のハドソン川沿いの瀟洒な家に住んでいて、時折彼の地へ出張になると、妻からも「又寄ってくるのね。よろしくね。」なんていう間柄である。彼女は、昔ファッションモデルをやっていたこともあるくらいだから当然美人で、ニューヨーク在の女性経済問題ジャーナリストとして今をときめいている。彼女にはやはり美人の妹がいて、僕が遊びに行くと、よく3人で遅くまでワインを飲みながら、トランプに興じたりするのである。そして、寝酒の時間になると、件のベランダからハドソン川に映る月を肴に、「もしかしたら違っていたかも知れない」二人の人生について、何となく切ない思いで語らいながら、杯を重ね、経る時に身を委ねるのである。

なーんてことが、ほんとにあるわけは無くて、カミさんに向かって「おい、部屋が散らかっているぞー、早く片付けろ」とか、「宿題、未だ終わってないのか、早くやれー」なんて子供に向かってわめき散らしながら、挙句の果ては一人ビールを飲んでヤンキーズ松井を観ているうちに、いつの間にか応接間のソファーでガーガー朝まで寝て、週末になるとゴルフ命とばかりにクラブを振り回し、ダフッた挙句にカナデイアンギースのうんこを踏んづけて、「くそーっ」なんてうそぶいている輩がいたら、それが私です。未だに本物を見極めることも叶わず銀行員を続ける悩みは、深くつらいものがあるのであります。



次回はJETROの説田所長に執筆をお願い致します。

 

≪著者プロフィール≫
渡辺 淳
東京生まれの東京育ち。そんな育ちに嫌気がさし、1977年に当時の日本興業銀行入行と同時に自ら関西勤務を希望、神戸支店を振り出しに、テキサス、東京、マニラ、そして東京、ニューヨーク、トロントと渡り歩く。銀行員としての四半世紀は営業・審査半分ずつ、それぞれが又国内・海外半分ずつの半分人生。妻一人、子供は17歳の女の子を頭に13歳の男、11歳の女の3人。やがて受験生になる高校生の子供を81歳の母親と2人で東京に置いているのが、若干心配な今日この頃。趣味は飲む(酒を)、打つ(ゴルフボールを)、買う(CD、ビデオ、その他目新しい物を)に加えて映画鑑賞。

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