思い出シリーズ

補習校に通った子供時代の思い出

Keard Insurance Brokers Ltd. 石橋朋子


小学生時代、オーストラリアで行った日本語補習校の友達と。

 

小学校時代はオーストラリア、高校時代はアメリカで過ごした著者が、土曜日に通った補習校の楽しかった思い出、ちょっと苦い思い出を振り返ります。

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私は子供時代、父の海外転勤に伴い、2度の海外生活を経験したいわゆる海外帰国子女です。1度目は小学校6年間をオーストラリアのメルボルンにて、2度目は高校3年間をアメリカ、テキサス州のヒューストンで過ごしましたが、2度とも毎週、土曜は日本語補習校に通いました。

毎週金曜の夜になると、母に叱られながら宿題をしたり、漢字テストの練習をしたりして、「なぜ、日本人子弟は人の倍、勉強しなければいけないのだろう、不公平だ」と自分の境遇を恨んだりもしましたが、現在、まがりなりにも親となり、自分の子供が4月から補習校に通い出し、いかに親の方が大変か、というのが身に染みています。

今思えば、小学校時代の補習校は楽しかったです。週1度、日本人の友達と思いっきり日本語でおしゃべりをできるのも楽しかったし、隠れてマンガの貸し借りをするのもスリルがありました。郊外への遠足もあり、家族全員が参加できる年に1度の運動会は一大イベントでした。子供心にとても豪華な景品が出た記憶があり、日本の運動会につきものの綱引き、玉入れ、また、親子にての二人三脚、保護者のパン食い競争などがあり、日ごろ見れない、親の童心に戻ったような笑顔を見れたのも良かったし、お昼に皆でござを敷いて、おにぎりをほおばったのも格別おいしかった気がします。

高校時代の補習校の思い出は多少違いました。また、運動会の話で恐縮ですが、ヒューストンの補習校でも運動会があり、高校生の競技種目は騎馬戦でした。当時、アメリカはレーガン大統領全盛期で、ヒューストンの高校では、他人種に対して排他的な雰囲気が濃かったように思います。そんな中で、借りている校舎の庭でラジオ体操第一の音楽をボリューム一杯に流し、日本人全員が体操し、その後、ましてや騎馬戦をするのはさすがに自意識が目覚めている高校生にはかなり抵抗がありました。ただでさえ、現地校では「真珠湾を攻撃しただろう」だのと、日本人としていじめられたり暴言を吐かれたりしていやな思いをしていたのに、こんなところを見られてはいじめに拍車がかかるだけだと、補習校の配慮のなさに腹が立ち、高校生何人かで担任とけんかして運動会をボイコットした思い出があります。

そういうわけで補習校に関しては様々な思い出がありますが、いずれにしても、学年が上がるにつれ、自分の日本人としてのアイデンティティーを確認するため、ますます、補習校の存在、そこでの友達との交流が大事なものとなっていったのは確かです。帰国後も当時の友達とはずっと文通を続け、大人になった今も、昔こそ頻繁ではありませんが、Eメールを交わしています。海外子女同士にしかわからない悩みもあり、そこで知り合った友達は自分の成長過程においては、大事な心のよりどころでした。自分の娘にとっても、大きくなるにつれ補習校が同じような存在になってくれればと強く願っています。

 

≪著者プロフィール≫
石橋朋子
Keard 保険ブローカーにて1995年以来勤務。個人用の自動車・家財保険、企業保険を日系企業および日本人駐在員、永住者に提供している。カナダでの暮らしは1991年以来、モントリオールに4年、トロントに8年と、およそ12年。トロントが今まで住んだところで一番滞在期間が長い。

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