
リレー随筆
オランダ、アムステルダムへの郷愁
郵船航空サービス(株) 古澤敏男

アメリカ、シカゴからトロントに赴任しこの2月でやっと7カ月。北米滞在年数も足掛け4年となりました。アメリカでの素行が余程悪かったのでしょう、着任を歓迎(?)するかのようにSARS・狂牛病・イラク戦争・ブラックアウト・BC州での山火事・カナダドル高等々、翌日何が起こるか分からないスリルに満ちた、誠に毎日が新鮮(?)な7カ月でありました。
そんな日々の暮らしにもやっと慣れ、このところの凍て付くような寒さを肌に感じながら、雪景色に佇むトロントの街並みを毎日アパートのベランダ越しに眺めておりますと、今から26年前(1978-1984)に約6年間過ごしたオランダ・アムステルダムの古い街並みと共に、家族と過ごした当時の記憶がふと蘇ってきます。
アムステルダム。それは郷愁をおびた、なんとも耳に心地よい響きのある、また私共にとっては海外生活、いや我が家の原点ともいえる街。
しかし、何故か記憶として蘇るのは、薄暗い雲に覆われた寒々とした街並み、街角のいたるところにある犬の糞の山、黒く濁った運河の水、傾いた家々、単身時、安ホテルの屋根裏部屋から聞いたライクス・ミュージアムのうら悲しい鐘の音、といった暗いイメージのものばかり。光と影の画家レンブラント、アンネ・フランクの悲劇に代表されるように、太陽が降り注ぐ夏より、どんよりとした雲に覆われた薄暗い冬こそ、この街のイメージに似合うと思います。その一つ一つにその国の国民性を感じ、それが現在の自分の生活観、人生観とオーバーラップすることで一層郷愁を掻き立てるのでしょうか。
当時、全くの一人駐在のなか、通信手段も現在のようなPCは言うに及ばず、携帯電話、ファクシミリさえ無く、紙テープにパンチを入れ送信するテレックスの時代でした。大変な作業ではありましたが、今から考えますと、慌しさのなかにも今では味わえない違ったゆとり、ゆったりとした時間の流れがあったような気がします。
アムステルダムでは、家族と共に過ごした時期もありました。家族での海外生活はその絆を一層強くするといいますが、家族、特に3人の子供との触れ合いを帰国後の20年間と比較しても、密度の濃い6年間でした。もっとも家内が聞けば「我が家は昔も今も母子家庭、子供が4人いるようなもので、典型的なダメ亭主、ダメ親父」と一蹴されそうではありますが・・・。
三男はアムステルダムにて誕生(当時長男4歳、次男3歳)したために、現在の我が家はオランダから始まったといっても過言ではなく、オランダ-アムステルダムへの郷愁はひょっとして一種の帰巣本能からくるものかもしれません。
現在、息子3人それぞれ違った場所で違った道を歩んでおりますが、残念ながら、帰国後まだ家族全員そろってアムステルダムの地に足を踏み入れておりません。
帰国後ちょうど20年という区切りの年を迎え、是非、近いうちに家族全員がアムステルダムに集合し、我が家の原点、そして家族の絆をもう一度見直したいと願う今日この頃です。それが郷愁から新たな想い出に変わることを期待して・・・。
次号は ヤマハカナダミュージック 猿谷社長にお願い致します。
≪著者プロフィール≫
古澤敏男
岐阜県生まれ。郵船航空サービス(株)入社後、名古屋、浜松、アムステルダム、浜松、シカゴを経て現在に到る。妻と息子3人。
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