趣味と私

ピアノと私

世代とジャンルを超え、いつまでも「Ebony and Ivory」


損保ジャパン 角田光史



今ではコンピューターとつなげて演奏もできるピアノだが、著者の子供時代はアナログしかなかった。そんなピアノと紆余曲折を経て、いい仲になるまでの体験談。

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ピアノとの出逢いは幼稚園の頃、姉がピアノを弾いているのを見て自分も弾いてみたいと思ったからだと思う。「バイエル」に始まり、所謂典型的なクラシックピアノのレッスンの過程を経て、知る人ぞ知る「ソナタ」まで到達し、数多くの女性陣に交じりピアノの発表会に参加するに及んだ。当時子供ながら週一回のレッスンは楽しいものであり、ごく自然と生活の一部になっていた。

小学生後半にもなると男の子はやはり草野球。ピアノを練習している自分を「女々しく」思い始め、嫌になってレッスンに通うのを止めてしまった。中学生になると部活動はブラスバンドに所属し、打楽器志望だったものの、なぜだかトランペットを担当することになり、また友達からの影響もあって親に無理を言いエレキギターを買ってもらい、ひたすら流行の洋楽などのコピーをしていた。その頃ピアノにはほとんど手を触れることはなかった。

全寮制の高校に入学した小生は長期休暇に入る度に親戚の家に泊まることになっていたが、そこで初めてジャズピアノをレコードで聞き衝撃を受けたのである。緊張感の中にある綺麗なメロディー、そして緩急と強弱のある数珠球のような指使いに驚きを感じ、あのように自分も弾いてみたいと思った。そこの家にはピアノが置いてあったが、何年も接していないピアノを前にして、とても同じように弾くことは出来なかった。

大学に入り、ジャズミュージシャンを目指す友人と出会い、音楽の理論やジャズ奏法の勉強などをしていたが、いつのまにか周りにいたのはプロを本気で目指す人達ばかりとなり、素人の私には到底太刀打ち出来ない別世界にいると感じ始めた。その間、素人バンドに加入して念願のドラムを叩いたり、キーボードやギターを弾いたりしていたが、そうこうしているうちに今度は就職活動の波に飲み込まれ、また暫くピアノから離れることになった。

社会人になってからは多忙極まる毎日であったが、ある日会社の先輩から結婚披露宴でピアノの演奏を頼まれ、引き受けてしまった小生はそれから毎日動かない指を無理やり動かし、必死で練習をした。ピアノ発表会以来の人前での独奏であり、老若男女の集う厳かな雰囲気の中で相当緊張したが、お祝いの席にふさわしいラブソングを数曲演奏し、無事役目を果たせた。今思えば無謀な行動、先輩のお願いでなかったら断っていただろう。

出会いと別れ、他の楽器への浮気、そして再会を繰り返しつつ、私とピアノとの付き合いは何十年にもなるが、譜面はとうの昔に読めなくなり、今は鍵盤を目で追いながら弾いており、一向にうまくならないのである。まあプロになる訳でもなく、うまくなる必要もないと勝手に納得し、音楽のジャンルにこだわらず、パラパラと誤魔化しながらピアノを弾いているというのが正しい表現である。

残念ながら現在はコンドミニアムに住んでおり、日本からわざわざ持ち込んで来たデジタル・ピアノで我慢している。指が疲れてくると愛用のマッキントッシュに接続して機械任せでピアノを弾かせている。今やインターネットからどんな音楽でもダウンロードが出来、楽譜まで作ってしまう世の中になってしまったが、たまに楽器屋に足を運びアコースティックピアノの前に座わる瞬間、アナログの空間に引き戻されるのである。

世間がカラーやデジタルと進化していく中で、ピアノの顔とも言える鍵盤は数世紀にも渡り白と黒の姿を守り続けており、冷ややかに時代の移り変わりを見つめているような気がする。頑固でもあり、またその普遍性がたまらなく好きなのである。個人的に黒鍵の音が好きであり好んで使うのだが、クラシックピアノを弾く人にとっては、黒鍵が多く出て来る譜面は嫌なもの。しかし小生はその音に暖かみと安らぎを感じるのである。かの有名なスティービー・ワンダーも、黒鍵を多用する曲が多いが、小生と同じ想いなのかも知れない。






≪著者プロフィール≫
角田 光史
高度成長期に兵庫県で生まれ、主に東京都が居住地。日系銀行に入行し東京に6年勤務。その後ニューヨークに7年駐在の後に、外資系銀行を経て損保ジャパンに転職(当時安田火災)。 

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