
広報委員のひとりごと
会報「とりりあむ」の15年

トロント日本商工会 中島章爾
| 今からちょうど15年前の1989年10月1日に商工会会報第1号が発刊されました。今日は古参の編集委員として会報「とりりあむ」の歴史を振り返ってみます。
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商工会事務局に専務理事が配置されたのを機会に、これまでやれなかったことを実現しようとの当時の会長福田善亘氏(丸紅カナダ社)の音頭で作業が始まり、この日8ページの会報(月刊)が発刊されました。「会報」の題字は当時の駐カナダ大使北村汎氏にお願いしたものです。発刊に当たっては広報部長(ソニー河相薫氏)から、会報発刊の目的として商工会と会員間のコミュニケーション改善、つまり商工会からの会員への情報伝達のみならず、会員のご意見、ご要望を積極的に取り上げたいとの意図が説明されましたが、過去15年の歴史を見ると会員からの意見吸い上げについては未だ成功しているとは言えず、今後さらなる努力が必要かと思われます。
発刊当時はトロントに駐在していた報道関係者、中道(読売)、林(日経)、小山(時事)のお三方より顧問としてのアドバイスをいただきました。現在当地に本邦マスコミ関係者の常駐がないことは誠に淋しい限りです。
発刊当時は毎月の編集にはもっぱら専務理事が当たり、大変忙しい思いをしましたが、1993年には朝日新聞仙台支局でサツ廻り記者をしていた新井ひふみ氏がトロントに来られたので編集者としてお手伝いをいただき楽になりました。中国留学経験もある新井氏が香港の中国返還前後の変貌を地元で自らの目で確かめたいと香港へ移動した後は、引き続き三藤あゆみ氏、広瀬直子氏と優秀な編集者に恵まれています。
当初の会報のデザインはある人曰く「固い固い。官報ってヤツを連想させる」と評判が芳しくなかったので、1997年には字角を大きく読みやすくすると同時に、編集委員の負担軽減を図り、四季報になりました。代々の編集委員が毎月の原稿集めに四苦八苦していたわけです。座談会の企画が編集委員の間で大変評判良かったのも「参加者の写真が何枚も出て、話しことばで簡単に2−3ページが埋まるぞ」というわけでした。
更に2000年初夏号からは「会報」から「とりりあむ」にタイトルが変わり、デザインも大刷新し、2色刷りとなりました。そして2002年末、商工会ホームページの開設後、2003年初夏号を最終号として紙上の印刷は止め、ホームページ上の公開に踏み切り、また月刊に戻りました。商工会ホームページ開設後は「とりりあむ」の記事内容は情報伝達の役割が減り、読み物としての記事が増えています。
なお、過去の記事で特に印象に残っているものは1990年6月から91年にかけて11篇が掲載された三菱マティリアル駐在員夫人の尼子三矢子さんのエッセイです。戦中、戦後の経験も出てくるので、今の若い人向きではないかもしれませんが、何しろ本チャンのエッセイストの作品でいたく印象に残っています。機会があれば一度皆様にご披露したいと思っています。
今後とも「とりりあむ」をご愛読いただき、ご感想、ご意見、ご提案を事務局までお寄せくださるようお願い致します。
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