Who's Who Canada−著名カナダ人を知ろう

 

ローラ・シコード
Laura Secord

Laura Secord
Courtesy of Niagara Falls Public Library 



フリーランスライター 三藤あゆみ


クイズ: ローラ・シコードは何をした人かご存知ですか?

@〜Bの中から正しいものを選んでください。

@19世紀のナイアガラ・オン・ザ・レイクで地味に手作りチョコレートを売っていたが、その味が有名になり英国王室に献上した。ローラ・シコード チョコレートの創始者。

Aアッパーカナダで繰り広げられた英米戦争の時に当時の女性では考えられないような勇敢な行動をとり、カナダを救ったヒロインとして歴史に名を残した。

B開拓時代のカナダでは数少ない女性音楽家。ドイツで名の知られたハープシコード職人の子孫で、19世紀にナイアガラ・オン・ザ・レイクに住んでいた。

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カナダに住んでいると、"ローラ・シコード チョコレート"の詰め合わせを贈り物にもらうことがよくあります。が、正解はA。チョコレートのブランド名は、植民地時代にアッパーカナダを守るため勇敢な行動をとった彼女の名前からきています。カナダ人でも「ローラ・シコードの名前は聞いたことがあるが彼女がなぜ有名なのかは知らない」という人がけっこう多いそうです。

アッパーカナダでは1812年に英米戦争が起き、翌年にはナイアガラ川周辺がアメリカ軍の占領下におかれました。クィーンストン(現ナイアガラ・オン・ザ・レイク)に住んでいたジェイムス・シコードの妻、ローラは筋金入りのロイヤリスト(英本国に忠誠を誓うアメリカ独立反対派)でしたが、ある夜、クィーンストン駐留のアメリカ軍司令官ボアストラー大佐のためにシコード家でディナーパーティーを開くよう命じられ、しかたなく料理やワインを用意してもてなしました。

ディナーの後、ローラが台所で皿洗いをしていると、ついたての向こうのダイニングルームからすっかり酔っ払った大佐の話し声が聞こえてきます。なにげなくそれを聞いていたローラは、大佐が「ビーバーダムにいるフィッツギブソンを奇襲して一網打尽にする」と言ったのを耳にし、愕然としました。フィッツギブソン大尉はアッパーカナダ軍のゲリラ戦略のリーダー的存在で、ビーバーダムに陣をとっていましたが、そこが陥落するとナイアガラ地区はほとんどアメリカの手に渡り、アッパーカナダの運命が危ういという状況でした。

ローラは一刻も早く奇襲の情報を軍に伝えなければと、夫のジェイムスに相談しましたが、彼は戦争で足に傷を負っていたためアメリカ軍の策略を伝えに長い道のりを行くのは不可能でした。そこで彼女は夜明けとともに、一人でビーバーダムに向かう決心をしました。

開拓移民の女性が単独で遠出することなどめったにないため、怪しまれてはいけないと、ローラはわざと人気のない未開拓の沼地や潅木の繁る険しいコースを選び、18時間の道のりを歩き続けました。狼の声に怯えながら、ようやくビーバーダムに近づいた頃にはあたりはもう真っ暗でした。しかも、闇の中で誰かに見られているような気がして恐ろしくなり先を急ごうとすると、突然、目の前に先住民イロクワ族の兵士たちが現れます。最初は驚いて声も出なかったローラは、それでもなんとか自分をとりもどし彼らに事の次第を説明します。結局、ローラの勇気に感銘を受けたイロクワの兵士は、彼女をフィッツギブソン大尉のところまで連れていってくれたそうです。

情報を得たフィッツギブソン大尉はアメリカ軍の奇襲に対して戦闘の準備を整え、逆に攻めてきた相手を驚かせました。闘いはカナダ-イギリス軍の勝利に終わり、ナイアガラ全域がアメリカに占領されるのを防ぐのに成功したのです。

しかし、ローラの勇気ある行動が公表されたのは何十年もたった後、彼女が85歳になった時でした。1860年、カナダを訪れた英国の皇太子が、ローラ・シコードの功績をたたえ100ポンドの賞金を贈ったという記録が残っています。

ローラの手柄を長年世間に公表しなかったのは、当時、アメリカ独立派の多いマサチューセッツの町に住んでいた彼女の親戚が報復を受けるのを恐れてのこと(彼女もマサチューセッツ生まれ)、という説もあります。しかし、戦争が終わった後、シコード夫婦が「国のために貢献したのだから評価されるべきだ」と、政府に対して何度も要請していたという話しも。

いずれにせよ、ローラ・シコードは、植民地時代のカナダ史に名を残した数少ない女性のひとりです。




≪著者プロフィール≫
三藤あゆみ
フリーランスライター/翻訳家、映像プロダクション通訳。日本の高校卒業後イギリスへ渡り、後にトロントに移住。埼玉県生まれ。
 

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