リレー随筆

キャンプの醍醐味

東芝カナダ社 伊藤一穂


皆さん、キャンプはお好きですか?

「世の中なになにが好きな人、嫌いな人、ふたつに別れる」といった言い回しがありますが、キャンプについてもこれは当てはまるのではないでしょうか?「世の中、キャンプが好きな人、嫌いな人のふたつに別れる」。自分の周りでも、好きな人は毎年行く。趣味が高じてくると1週間山の中にこもりっぱなしなんて人もいます。一方で、嫌いな人、興味のない人は「なぜわざわざ手間ひまかけて、不便・汚い思いをしたがるのか理解できない!」というように、両極端に分かれます。

かく言う我が家は・・キャンプ肯定派です。夫婦ともどもキャンプ歴は、そろそろ20年。一時の中断はありましたが、カナダ赴任後は毎年通算で1週間以上はテント暮らしをしています。そんな自分たちですが、何がそんなに楽しいのか?と改めて聞かれると一瞬答えに窮します。

テント生活は確かに不便です。気候によって、テントの中は蒸し風呂にも冷蔵庫にもなります。雨でも降った日には何もかもが湿ってしまいます。「何でわざわざこんなことしてるんだろう?」と思ったことも1度や2度ではありません。また、テント生活には汚い面もあります。蛇口をひねってすぐお湯が出るわけでなく、食事の前に手を洗うにしても「飲んじゃあだめよ」と注意書きのある地下水では、洗ったほうが良いのかどうか、よく分かりません。何もかも抗菌処理がしていないと気持ちが悪い、と言う今の日本の風潮からすると信じられないような生活だと思います。

それではいったい何故キャンプに行くのか?「カナダの大自然を満喫する!」「家族の絆を深める!」こんな答えもすぐに浮かんできますが、パッケージ・ツアーの宣伝のようで、自分にはしっくり来ません。

数年前、キャンプの最中に一人で山道を歩いていて、ふと思ったことがあります。「この道は、冬にはいったいどうなるんだろう」。冬にはきっと雪に埋もれるのでしょう。誰も観賞する者のいない世界。そして春が来て、新芽が芽吹く。雪が解けて動物達が行き交う。夏が来て光が満ち溢れ、自分のような人間がやって来ては、少し辺りを騒々しくする。秋になって木々が色づき、霜が降り、落ち葉が散り、そしてまた、冬が来る。この繰り返しなんだ、と思った途端にはっとしました。"自分"というちっぽけな存在、人間という存在すら超えて、この道、この山、湖は存在しているのだと。自分が今見ている、この、素晴らしい風景は、自分が見ている、人が見ている、と言う事実をまったく意に介せず、数百年前から存在しており、この先、(おそらくは)数百年先にも同じように存在するのであろう、と。

「自然を満喫する」など、おこがましいもよいところで、森羅万象は人の存在を飲み込み、そこに人が居ようと居まいと、超然としてそこにあります。家族の絆、人と人との関係など、この圧倒的な時の流れのなかでは、ほんとうに瞬く間の出来事だと。"今"と言う時間は、思った瞬間には、既に過去になっている。そして人は、限られた時間しか生きられないからこそ、こうしていられる"今"が大切であり、人と人との絆が大切だと言うことを。

概念としては当然のことであり、誰もが分かりきっているこうしたことが、まさに圧倒的な事実としてその時の自分に押し寄せてきました。それは理性として「分かっている」という次元を超えて、悲しくはないのに泣きたくなるような、無性に家族の顔が見たいような、それでいて、大きな存在の前で無に近い自分を、このままもう少し感じ続けていたいような、そんな、鼻の奥がツンとする感覚でした。

こうして改めて考えてみると、自分にとってのキャンプの醍醐味とは「日常という"時間"を離れて、遥かな長さの"時"を感じること。その中で、自分が、家族が、"今"を生きて、生かされていることの再確認をする」ということなのでしょう。

ちょっと大げさで、気恥ずかしくもなりますが、こうしてまた、今年もいそいそとキャンプ場の予約をする自分がいるのです。



なお、次回は東京三菱銀行の菊田様にお願いします。



戻る