
リレー随筆

カナダでの医療体験 -Everything is OK…?
KPMG 関 賢二
幸いなことに私も妻も過去にたいした大病は経験したことがなく、カナダ滞在期間中も病院のお世話になることもなく過ごすのあろうと思っていましたが、妻の妊娠がわかってからは、カナダの医療事情の一面を垣間見ることになりました。
それまで、私たちにはカナダの医療事情に関しての情報はほとんどありませんでしたし、それを入手する必要性もあまり感じていませんでした。過去30数年間日本で暮らしてきて知った日本の医療の実情や、友人知人から聞かされる日本での出産話、目にする日本の一般的な医療書物からの情報が潜在意識の中に刷り込まれており、それとある程度同レベルのサービスを暗に期待していましたが、実際にカナダの産婦人科医を訪れて以降、私たちはそのサービスの違いを十分なほど認識させられました。
定期検診に行くたびに産婦人科医は1、2分軽い問診と触診をするだけで「Everything is OK」としか言わず、超音波検査は頼んでも妊娠期間を通じて2回しか行わせてもらえず、胎児に異常があるかどうか細かく検査する様子もなく、それで言うことは「Everything is OK」だけなのです。日本の至れり尽くせりの出産(もちろん聞いて得た情報だけですが)とは大違いだと思いました。よく考えれば、おおらかなカナダ人の気質をよく表している、そう思い始めたのはしばらく通院してからのことでした。
そして出産の時期がやってきました。妻は、一度は経験したいと言って、無痛分娩(Epidural麻酔)を選択しましたが、実際にいきむ段階になって完全に下半身の感覚が麻痺してしまい、うまくいきむことができないようでした。素人の私でも目の前で注入されている大量の麻酔は量が多すぎるように感じ、麻酔技師に"too much"ではないかと尋ねたところ、大丈夫だとあっさり言われ、そのままお産に突入した結果でした。体格のいいカナダ人妊婦と比べて小柄な日本人妊婦に、カナダ人と同じだけの麻酔を入れて本当に大丈夫だろうか、そんな不安がよぎりました。
赤ちゃんを取り上げるときは、今まで検診に通っていた産婦人科医が立ち会うということで、なぜか少しほっとしたのも束の間、彼は何の迷いもなく大胆に切開を始め、鉗子と吸引器具を駆使して、息子を引っ張り出したのでした。唖然としている間に、息子はとりあえず無事に取り上げられ、母子共に健康を確認した産婦人科医は、「ほら、everything is okでしょ?」と例の口癖を言わんばかりでした。とりあえず無事に産まれた感動のおかげで、彼らの医療に対する不安は徐々に消え去っていきました。
そんな不安も忘れかけていた矢先、息子が月齢3ヶ月を過ぎたころ突然40度の熱を出しました。かかりつけの小児科医に診てもらったところ、すぐにEmergencyに行くように言われましたが、正直あまり乗り気ではありませんでした。過去に妻がEmergencyにお世話になったことがあり(今思えばEmergencyに行った事自体が早計ではありましたが)、そのときは診てもらうまでに5時間以上かかった記憶があったからです。「待合室で頭から血を流し自分の手で押さえている若者もおとなしく順番を待っている様」は異様でした。
しかし、今回は乳児ということと、小児科医の紹介状を持っていたこともあり、すぐに診てもらうことができました(後で聞いた話ですが、心臓発作患者と乳児が優先されるそうです)。ただ、発熱の原因がわからないため、その場ですぐに入院するようにと言われました。点滴をするため、専門の技師が何人も来て点滴の針を刺す手足の血管を捜し何度となくトライしたのですが、乳児ということと少々太り気味だったせいもあって、結局血管を見つけることはできませんでした。
「この病院で一番針を刺すのがうまい」(自称)という技師でさえも失敗したほどでした。その技師は手足の血管が見つからないからと言って、あっさり息子の頭の毛を剃り始め、剃り込みのところに見えている血管にチャレンジし始めました。表面の血管だから内部には支障はないと説明されてはいたものの、頭から点滴をする、そんな話は今まで聞いたことがなかった私たちにとっては非常に衝撃的な光景でした。心配して見ている私たちをよそ目に、技師は両方の剃り込みにトライし、結局失敗し、あっさり引き下がっていった様を見て、出産時に感じたカナダの医療に対する不安が再び沸いてきました。
通常、点滴の経路が開通していれば、そこから抗生物質も注入できるのですが、息子の場合は点滴をあきらめ、効果が現れるのが遅い筋肉注射で抗生物質を入れるしか方法はありませんでした。発熱の原因もわからず、熱も一向に下がらなかったため、抗生物質はあれこれ数種類投与され、さらに悪いことに、そのうちの一種類はかなり強い薬だったらしく、投与後しばらく息子は死んだ魚のようなうつろな目をして、私たちの呼びかけにもまったく反応しなくなっていました。薬の投与に対する不安は、妻のEpiduralに続いて二度目でしたので、この人たちに任せておいて大丈夫だろうか、正直そう思いました。
また、日本と違って、医者と看護婦との間には患者・治療の情報が適切に共有されていないように思われました。看護婦から聞いた話では、医者は直接自分で医薬局に抗生物質を手配し、看護婦は届いた薬をただ注射しに来るだけで(ある意味、きちんと分業が図られているのですが)、薬の種類がなぜ変わったかについては医者から知らされることはない、とのことでした。看護婦の交代でもきちんと情報を引き継いでいる様子もなく、同じ質問を何人もの看護婦から投げかけられ、さらには、ある看護婦は病室に入ってくるなり「医者はなんて言ってた?」と私たちに質問してきたこともありました。これがこの病院に限った話なのか、一般的な話なのかはわかりませんが、日本の事情を多少なりとも知る私たちには大変な驚きと不安でいっぱいでした。
あまりに不安でしたので、友人の伝で、トロントに医療研究に来ている日本人小児科医と連絡を取ることにしました。当然、カナダで臨床医療を実施することはできないらしいのですが、いろいろと話をしていただき、不思議なことにそれだけで私たちの不安はある程度和らぎました。また、その先生からは、可能性のある1つの病名を教えていただき、私たちも必死で情報収集しました。結局、入院先の病院でも最終的にはその病気だと判断したらしいのですが、それを聞かされたのは入院して4日後のことでした。日本では、この病気は乳児の男子にはよく見られるものらしく、発熱しか症状がない場合には真先に疑う病気とのことです。
また、日本では点滴はどんなことをしても行うらしく、あきらめることはまずないとのことでした。とすれば、息子も日本にいれば4日もかからずに原因が判明し、点滴と適度の抗生物質の投与ですんだかもしれない、という思いがよぎりました。やはりこれがカナダの医療なのだろうかと思い始めました。結局、1週間入院したにもかかわらず、OHIPのおかげで支払は少額の電話代だけですみましたが、日本の至れり尽くせりの医療サービスは、高額ではあるものの心配性の日本人(少なくとも私たち)にはマッチしていると感じた体験でした。
ここまで私たちの不安ばかり書き連ねてきましたが、それもこれも、しばらく日本の医療にお世話になっていない私たちの中で、日本の医療というものが過度に美化されてしまっていたせいではないかと最近は思います。やはり、思い出というものは時間の経過とともに美化されていくものなのでしょう。何はともあれ、カナダの医療のおかげで息子の病気が完治したのは事実であって、そのことには感謝すると共に、紆余曲折はありながらも1つの困難を乗り越えられたことを純粋に喜びたいと思います。
次回の随筆は、日立工機カナダの加藤様にお願いいたします。
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