
Who's
Who Canada−著名カナダ人を知ろう
女性シンガーソングライターの元祖
ジョニ・ミッチェル Joni Mitchelle
シンガーソングライター/画家 ジョニ・ミッチェル
アルバム「Both Sides Now」のジャケットにもなった自画像
BC州ネルソン博物館提供
フリーランスライター 三藤あゆみ
数々の曲を世界でヒットさせ、ボブ・ディランからジャネット・ジャクソンまでさまざまな有名ミュージシャンに多大な影響を与えたカナダ人シンガーソングライター、ジョニ・ミッチェル。60年代初期には、トロントのコーヒー・ショップやクラブでフォークソングの弾き語りをしていた一風変わった貧乏ミュージシャンだったが、昨年はついに、40年間続けてきた音楽活動とその功績がたたえられ、オーダー・オブ・カナダ(カナダ勲章)と、マギル大学の名誉博士号を授けらた。
本名はロベルタ・ジョアン・アンダーソン。1943年、小さなスーパーを経営する父と学校で教師をしている母のもと、アルバータ州で生まれ、サスカチュワン州サスカトゥーン市で育った。小さい頃から絵が上手で、ピアノやウクレレギターなどを演奏し、アートの才能を発揮していた。
しかし、当時かなり保守的だったキリスト教コミュニティの大人たちからは、聖書にでてくる話に疑問をもって大人に質問し続けたり、9歳からタバコを吸い始めたミッチェルは、問題児扱いされていたようだ。後に彼女は、「9歳になった年のある日、友達どうしでタバコを手に入れ、湖のほとりにすわって皆で吸ってみた。むせる子もいたし、吐き気をもよおす子もいたけれど、わたしは一口吸った瞬間になんておいしいのだろうと思い、頭もすっきりするし、すばらしいものだと感じだ。その日以来、すっかり愛煙家になった」と語っている。彼女の声は4オクターブの幅があるというが、あの個性的な声は子供の頃からの喫煙のためだともいわれている。
9歳の時にポリオにかかり、命は助かったものの歩くことができなくなってしまった時期があった。もう歩けないかもしれない、という悲しみを抱えたその時期に、子供ながら人生や人間について考える感受性が育ったのでは―とは本人の自己分析だ。
アルバータのアートカレッジに入学し、本格的に絵を勉強しはじめたのもつかのま、授業のほとんどがクリエイティブでないことに不満だった彼女は、フォークシンガーになると母親に言い残してトロントへ旅立った。音楽だけでは食べて行けなかったその頃、トロントに当時あったシンプソンズデパートなどで働きながら活動を続けたが、後にニューヨークに拠点を移した。
彼女の奏でるギターのリズムは個性的で新しく、当時まだ若かったデイヴィッド・クロスビーが彼女の才能に目をつけ、本格的な活動が始まった。
天才シンガーソングライターとして世に知られるようになったのは「ブルー」から。ボブ・ディランが大変影響を受けたという曲だ。その他、ジャズをとり入れた「パリの自由人」「陽気な泥棒」「ヘルプ・ミー」などを大ヒットさせた。「Day after Day」は、1965年にオンタリオ州のイニスレイクで開催されたマリポザフォークフェスティバルに行く途中の列車の中で作った曲だ。
彼女の作品は、さまざまなジャンルのミュージシャンたちに影響を与えた。エルビス・コステロ、シェリル・クロウ、プリンス、ジャネット・ジャクソンなど、インスピレーションを受けたアーティストとしてミッチェルの名を挙げるミュージシャンは数え切れない。
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