リレー随筆

 

ムスコカ トライアスロン 参戦記

Miura Boiler Co.,Ltd  吉田元之


水の中で白っぽい物がゆらいでいます。前を泳ぐ選手の足の裏です。次のバイクとランのことを考えてか、あまり動かしていません。ついていけそうなのでこの選手にしばらく引っ張ってもらうことにしました。

ようやく始まりました。おそらく、ゴールまで4時間を越えるかもしれない、そして私にとってカナダで初めてのトライアスロンです。

トロントの北にあるハンツビルはムスコカのリゾート地として知られています。しかし、世界クラスのトライアスリートを招いたトライアスロンが、ここで毎年6月に開催されることをご存知の方は少ないと思います。

スイム2.0km・バイク55.0km・ラン15.0kmのショートディスタンスですが一般参加選手を入れると2005年は700人あまり、アイアンマンカナダの出場権を獲得できる規模・質ともにオンタリオを代表するトライアスロンです。

わたしがこのレースの参加を決めたのが2月。それから4カ月。計画通りにはいきませんでしたが、自分なりにコツコツと練習を重ね、2週間前には家内の協力を得て試走もしました。その際バイクコースのアップダウンの多さに驚き、本番のスタートではカナディアンの体躯に圧倒され不安な中でのスイムスタートでした。

さて、スイムは約650m地点の最初のブイまで泳いできました。スイムコースは3角形です。右に曲がる癖のある私はヘッドアップをしてブイを確認しながら進みます。他の選手との接触をできるだけ避けたいのですが、それでも最初のブイ地点は込み合います。押し合いへし合い、小柄な私にはちょっと不利です。少し水を飲んでしまいました。あわてず落ち着いて、あと1500mくらいだと自分に言い聞かせます。2個目のブイを回ったあたりで先にスタートした組の、赤いスイムキャップの選手が混ざってきました。このブイをまわってスタート地点へもどっていきます。もう1000mは過ぎたはずです。腕はまだ疲れていません。しばらくすると後発グループの緑のスイムキャップが混ざってきました。残りは500m程度か?自分の順位が気になります。腕も少しだるくなってきましたがキック(バタ足)を使ってスパート。前の選手についていきます。

湖の幅が狭くなってきました。ヘッドアップしてゴール前のブイを確認します。まわりは泡で真っ白です。ひと・人・々。ひとだらけ。乗られ、叩かれ、引っ張られ、乗り、叩き、引っ張って、バトルです。しかしここは我慢のしどころ、みんな好きでやってるわけではありません。それにゴールは目前です。

ようやく立てるところまできました。2000mのスイムフィニッシュです。声援の中をトランジションまで走ります。途中で家内を見つけました。手を振ってそれに答えバイクラックへ。45〜49歳代のバイクラックにはまだ半分ほど自転車があります。少しホッとします。

次は苦手なバイク、ここで何人に抜かれるかが問題です。坂道の多さは2週間前の試走でわかっているので無理は禁物。でないと最後のランでつぶれてしまうかもしれません。 スイムスーツを抜き、バイクシューズを履いて愛車にまたがります。パンクしないことを祈りつつバイクスタート。

DHバーを握りしめて沿道の声援に気を良くしてハンツビルを快走。しかし走り始めてすぐに気温が低いことに気がつきました。そういえばレース前に「気温8度」とアナウンスされていました。でも後のまつり、戻る時間はありません。我慢してノースリーブで走ることにしました。この気温は濡れた体には相当こたえます。「気温が上がりますように。」予想通りバンバン抜かれます。「カナダ人+バイク=早い」というか、私が遅い。惑わされぬよう自分のペースを守って、カーブとアップダウンの多いムスコカを駆け抜けます。長い坂道では両脇の緑の木立がきれいに見えます。その中を縦列にならんだバイクの集団が切れるともなくゆるゆると続いています。ふとアイアンマン(鉄人)カナダの写真の一こまを思い出しました。ちょっと日本では味わえない。しばらくしてエリートの集団とすれ違いました。「早い」。「・・・」あれは人間じゃありません。あの人たちはどんな練習をしているのだろうと考えながら試走の出来事を思い出しました。2週間前のことです。

バイクコース下見での事
私:「坂の数かぞえるからメモッといて」
家内:「いいわよ」
直後いきなり上り坂
私:「一つ目」
しばらくしてまた急なのぼり
私:「二つ目」
家内:「結構きついね、この坂」
私:「スタート直後はすこし力をセーブしないといかんな」
するとまたまた急なのぼり
私:「三つ目」
家内:「これもさっきよりきついけど」
私:「たぶんこのあたりだけだろう。こんなコースそんなに続くわけがない」
すると、また…。
けっきょく坂を数えるのは途中でやめました。

バイクは、たくさんの人に抜かれて折り返し地点まできました。でも試走のときより若干タイムは良いようです。目標の4時間はまだ大丈夫。復路、時々出会う応援の人達が励みになります。ですが応援は日本ほど盛んではありません。「勝手に(?)楽しんでね」といった感じ。ダウンヒルライドのコツも覚えて、アップダウンや長いのぼり、カーブを制してようやく50km地点まできました。残り5km。このあたりで足の調子を見ます。あとはスローダウンして最後のランに備えなければいけません。人に抜かれてもマイペースです。鉄橋を渡り、ゴールが近づくにつれて応援も増えてきました。気合が入ります。時計をみるとバイクタイムは1時間50分くらい。トランジションの入り口で家内が待っていてくれました。DHバーから片手を離して合図。ようやく帰ってきました。バイクを降りてラック周りをみます。ありました。まだバイクを置くスペースはあるではないですか。まだ帰ってきてない人もいるのです。私は45〜49歳代でビリではありません。あとは得意のラン、ここでバイクの遅れを少しでも挽回しなくてはなりません。

そしてラン。 スタート直後、足がフニャフニャした感じがしません。前の選手にすぐに追いつき、最初の上り坂でこの選手を抜きました。調子は悪くないようです。時計をセットして最低でも5分/1kmを目標にします。それで4時間の目標タイムに届きます。1km地点にきました。反対車線にはフィニッシュライン。すでにエリートの選手はゴールしています。時間は2時間35〜40分くらいでしょうか(世界トップレベルです)。そして次々にフィニッシュラインに選手が入ってきています。沿道は声援を送る人達でいっぱい。わたしはこれから15kmのランにでますが、対向車線を走る選手はフィニッシュラインが目の前です。選手とすれ違うたびに自分の順位が気になってきました。できるだけ順位をあげたい。2004年の記録では4時間をきれば450番くらいだったことを思い出し気合が入ります。5km地点でラップをチェックすると1kmを4分30秒台で走っています。これはオーバーペース。あわててペースを落とそうとしますが、回りの選手に引っ張られてなかなか落とすことができません。ここで足がトラブルをおこしたら元も子もありません。人の後ろについて引っ張ってもらい抜けるところで抜く。ランではかなりの人を抜くことができました。自分より若い選手を追い越すのは気持ちのいいものです(選手の左のフクラハギには年齢を書いてあるでわかるのです)。

折り返し地点を過ぎ、ゴールまであと4km地点で35歳のカナダ人と会話。話題は、「残り何キロ?坂道は何ヶ所あった?」私:「4ヵ所」。直後この選手はスパートしました。ついていこうとしたのですが駄目でした。最後のエイドステーションで水をもらいます。このあたりから気が緩んでスピードがズルズルと落ち始めました。「やっぱりしんどい」「ゴールしたらしばらく練習やめよう」「7月のレースは中止」弱音がグルグルと頭の中で…。これから上り坂が2ヵ所あります。沿道の人が「ゴールはもうすぐよ。頑張れ」と励ましてくれます。歩いている選手もいます。ようやく最後の坂が見えました。これを上ればフィニッシュラインは目前です。坂の頂上。見えました。ゴールが。わたしの時計は3時間49分を指しています。疲れはどこかにとんでいってしまいました。笑顔でフィニッシュ!脳内モルヒネ分泌。カナダにきてはじめてのトライアスロンだけに、満足感でいっぱいでした。

日本で始めてトライアスロンに出場したとき、ゴール前に、5ヵ月間の練習を思い出し胸がいっぱいになったことがありました。カナダで初めての今回はそれとは違って楽しい、ハッピーの一言が似合うゴールでした。記録は3時間50分12秒。415位/670、エイジ43位/72でした。最後の15kmランは1km/4分48秒とまずまずのラップでした。完走できた自分の体に感謝、家内と周りの皆さんに感謝。トライアスロンのおかげで知り合いもできて違ったカナダを発見することができました。2006年も再度挑戦します。

最後にわたしの友人の言葉を。
「ただ年老いていくというのがたまらなかった。ちょっとだけ輝きたかったんです。そのうちになんて言わずやるなら今!ですよ。トライアスロン」

 


次回はクリヤマカナダ社、人見社長にお願いしております。



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