
Who's
Who Canada−著名カナダ人を知ろう
16歳で歌謡界にデビューするやいなや、かつてヒットチャート連続10週間1位の記録を作ったマドンナの記録を破った、世界ナンバーワンの若手女性ポップスターといえば、誰だかご存知ですか?
答えは、アヴリル・ラヴィーン。オンタリオ州の小さな町ナパニー出身、現在21歳である。
16歳で世界ナンバーワンのポップスターに
アヴリル・ラヴィーン
アヴリル・ラヴィーン
フリーランスライター 三藤あゆみ
アヴリルは、フランス系カナダ人の両親のもと1984年にオンタリオ州ベルビルで生まれた。ラヴィーン家はその後、人口わずか5000人のナパニーに引越し、そこが彼女のホームタウンとなる。保守的な両親について、小さな頃から毎週教会に通いながら育った。パンクファッションやストリートファッションなどを再流行させたり、女の子どうし殴り合いのケンカをしたり、ラジオに出演すれば罵詈雑言と爆弾発言の続出、といった具合にタブロイド紙や芸能ゴシップ誌の注目の的となっている今の彼女とは、ずいぶん違うイメージである。
小さな頃から歌手になりたいと思いつづけ、教会のコーラスなどでもひときわ目立つ声をしていたそうだ。家では自分のベッドの上に立ちあがって、何千人もの観客を前にしたステージを想像しながら大声で歌をうたっていたという。しかし、田舎であるナパニーの町では、歌の実力を見せる場といえば、教会のコーラス、学校や町のイベントなどがいいところ。カントリーミュージックをよく歌った。
プロの歌手としてデビューのチャンスは、本屋のチャプターズ・キングストン店で、カントリーミュージックをギター演奏しながら歌った日にやってきた。
キングストンでスカウトされ、その後もっと大きなチャンスをつかむためにニューヨークへ移住。わずか16歳の時である。ニューヨークではアリスタレコードの社長の目にとまり、契約が成立。しかし、プロデューサーの作るイメージや曲でしか売り出してもらえないことに不満を感じ、アヴリルはロサンジェルスへ向けて旅立つ。
そこで彼女はプロデューサーで作詞・作曲家のクリフ・マグネスと出会う。マグネスは、アヴリルに主導権を与え、本来の個性を生かす路線で彼女をプロデュースした。デビューアルバムが完成し、その中から第1弾目のシングル「Complicated」という曲が売り出されると、あっという間に世界各地の都市で大ヒットとなった。これが、マドンナの記録を破ったシングルレコードだ。北米コンテンポラリーヒット・ラジオ・チャートの("トップ40"として知られる)第一位の座を11週間保持した。
世界中でアヴリル・ラヴィーンが支持される理由は、歌そのものだけではない。10代のうちから自分で作詞作曲した作品を歌いたいと主張を曲げなかった、嫌いなことはキライとはっきり言う、下品なことも悪口も隠さず言ってしまう、でもセクシーである(これは、若者の間ではそういうことになっている)というようなところが、今の若者たちに大ウケしているからである。ラジオ番組生放送中に、アヴリルを中傷したライバル歌手についてどう思うかと聞かれると「彼女はマザコンでみっともない。救いようのないバカとはああいう人のことをいうんだよね。ひとりでヤッてろ!」と言いつつスタジオの壁に貼ってあったその歌手のサイン入り写真をはがして破いてしまった話しは有名。
アヴリルのファッションもデビュー当時から常に注目されていた。デビュー当時は、Tシャツにジーンズをはいてネクタイを締めた格好がトレードマーク。コンサートツアーにも、いつも30本ほどネクタイを持って出かけていたという。ジーンズや太めのワークパンツにTシャツ、スニーカーといったスケーターファッションでも「2002年若者が一番多くマネした芸能人の服装」とテレビや雑誌にとりあげられた。その次はパンクの再流行に火をつける。そして最近では、パリの一流ブランド専属モデルとして契約したり、ファッションショーに出演したりと、少し大人の路線で話題をよんでいる。
アヴリルは、日本でもかなりの人気だ。昨年行った武道館でのライブコンサートのDVDが発売されるとすぐに、洋楽チャートで初登場1位を獲得したという。
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