リレー随筆

Mr. Hitomi 

愚考雑記

Kuriyama Canada Inc. 人見 勤


「どうぞ何でも自由に書いてください。」とのお言葉に甘えて、パソコンの前に座って、頭に浮かんで来ることを、そのままに書いてみることにさせていただきました。あほなことを考えているな〜とお感じになる方も多いかと存じますが、その場合はサラッと読み飛ばしてくださればと存じます。


1.「漢字の音読みをチョット変えたら中国語にならんかな?」

さて中国の事ですが、現状大変な勢いで成長しているようです。数日前の記事では世界第3の経済大国になったとか、外貨準備高が世界1になったとか、書いてあったように思います。ビジネスに関わっている方で、中国を無視できる方は世界でも少ないのではと思います。既に多くの方が仰っていますが、これからは中国の時代と言ってもいいのではないでしょうか。

このようなことを頭に、日本という国を見てみますと、日本は中国に大変近い国です。飛行機で日帰り旅行さえ可能です。文化の面だって、他の国の人と比べると日本人は中国のことをずっとよく知っています。随分親しみさえあるはずです。だって子供の頃から、その文化に触れています。そもそも漢字は中国からのもので、日本語は口語で文字がなかったため中国の漢字を輸入して使用したのではなかったでしょうか?私の学校時代には漢文という科目があって、中国の文章を、日本的に読んでいました。

ここで、どなたかにお考えいただきたいのですが、何とか現在の漢字の日本語音読みを中国語の発音に変えられないものでしょうか。「ばか!」そんなことをすると日本語が変わってしまうと仰る方もいらっしゃるかもしれませんが、一方では、音読みを中国の発音に変えると、今までの学校の勉強とほぼ同じ努力で、かなり中国語が話せるようになるのではと思うのです。既に中国の人たちと漢字を書いて筆談をされた経験をお持ちの方は多いと存じますが、チャンと話はできます。勿論意味の違う漢字があったりしますが、ソレも筆談で解消できます。こんなことが出来るのは「漢字」というのを共有しているからです。

違うのは発音です。といっても発音が同じものさえありますし、始めて見れば意外と簡単に出来るのではと思っています。この中国との共通の文化、共有している漢字をコミュニケーションが良くなるように利用したいと思う訳です。話せれば、中国人も日本に来易いし、勿論日本人も中国へ行きやすい。最初は少し話せるだけでも、そのうちドンドン改善していけるものと思います。漢字を共有していることは絶対に日本の強みにすることが出来ると思います。地理的に近い、かなりの文化を共有している、あとは言葉が通じれば、国や国民のコミュニケーションがずっと良くなって諸問題の解決に役立つだけでなく、ビジネス面では大変有利になると思います。言葉はコミュニケーションの道具ですから、別に時代のニーズに応じて変わっていってもいいのではないでしょうか。

これからは中国の時代だと考えれば、すぐにでも音読みを中国読みに変えて覚えたいと思います。同じ意味で、現在は中学から、あるいは小学校から英語を勉強していますが、これからは、中国語を選択して勉強する人がいてもいいのではないでしょうか。英語よりずっと簡単に書けるようになるのではないかと思います。前に書きましたが筆談が出来るのですから。それに皆さんご存知の通り中国人の人口は中国本土だけで14億、ニューヨークだってロンドンだって勿論トロントにもたくさんの中国人がいますから、世界で通用する言葉ではないでしょうか。

最近私の周りの友人を見ていますと、中国語を話せる人、そして中国に住んだ経験のある人は引っ張りだこです。大手企業にもまだまだその人材は不足しています。中国がまだまだ成長していることを考え、10年20年先を考えると、中国人と日本人が一般の人のレベルでも話が出来ることの重要性は計り知れないとは言えないでしょうか?


2.「幸福な偶然をつかまえて見たいと思いませんか?」

最近、大変興味深い本を読みました。日野原重明著「『幸福な偶然』をつかまえる」(光文社)¥1,200.-です。著者は90歳を超えた現役のお医者様ですし、有名な方ですから店頭で手にとって見て買い求めました。

中身は自分に見る目がなければ、眼の前にあっても見えない。自分に学ぶ能力があれば何からでも学べるとか少し使い古された内容を取り上げているように最初は思ったのですが、どうも読んでみると、何か違う。

ニュートンは、りんごが落ちるのを見ていて万有引力を発見。アルキメデスは、お風呂に入って水がこぼれるのを見て「ユリーカ!」と叫んだ。いずれも、誰でもが日常見ているもの、あるいは彼らもいつも見ていたのに気づかなかったことに、ある時気がついた。彼らは偶然、気がついたのか。いや、彼らはそのラッキーな偶然を捕まえる能力があったのです。幸福な偶然を捕まえた。幸福な偶然を捕まえる能力があった。

どうも、このように書くとちょっと本の内容と違うようなので、是非一度お読みいただきたいたいのですが、私にとって一番大事に思えたのは、著者はどうも「あたなに幸福を感じる能力があれば、あなたはいつも幸福を感じることが出来る。そして、その能力は誰にでも備わっているのですよ。だから誰もがちょっとその能力を使おうと考えれば、幸福はそこにあるのです。」と言ってもいるようなのです。

余談ですが、この本の著者はSerendipityと言う言葉を盛んに使っていますので、どうも日本語にも訳しにくいのでしょうが、この言葉は哲学の世界では極めて一般的に使われているようです。先日アメリカの哲学の先生とお話するチャンスがあったのですが、そのお話をするとよく普通に使う、「あなたはSerendipityがある。」「あなたはserendipitousです。」と言うような言い方をするそうです。だからそんな特別な能力と言うよりは誰にでも備わっているものをいうんだと感じました。

更に余談ですが、その哲学の先生は20年かけて一冊の本を出してその本が賞を貰ったとの話だったので「You are serendipitous.」と言ってみたのが始まりです。その表現を大変喜んでいただけたので、「あなたは素晴らしい特別な能力をおもちですね」と言う感じで使えるのかなと思いました。今まで使ったこともない言葉がすっかり頭の中に定着し、前から私が正しいと思い続けているComparative advantage・・比較優位論、誰にだって他の人より優位な部分がある。との考えにも妙にしっくり合うので、何かにつけよく使うようになっています。

ところで、著者の言うように、自分にも幸福を感じる能力があるのだと信じて、さて幸福は何処にあるのか?幸福とは何だ?自分の周りを見てみようと、考え始めると、確信はまだ全く持てないのですが、ひょっとして、これが幸福なのか?これも幸福なのか?と、いくつも幸福かも知れないとの可能性が一杯でてきました。多分少し、このような自問自答を続けて訓練をすれば、いずれ、これが幸福なんだ、これも幸福なんだと感じられるようになるのではと思い始めました。やはり能力はあっても少し磨かないとその能力をうまく使えないのではないかなと著者が言っていることを少し自分流に解釈しています。

それに俗人的なことですが、やはり自分が明るく楽しいと思えるときに、気持ちいい環境で静かに考えてみたほうが見つけやすいと思います。このように考えると、これも不思議ですが、なんか幸せは結構身近にあるものなんだ。そして、何か人にも幸せを送ることが自分にも出来るのではないか?とも思い始めました。感受性の乏しい自分にさえこのような考えを運んでくれたこの本ですから、きっと、お読みになった方に、明るく楽しく幸せに暮らすヒントを運んでくれるに違いないと思っています。どうぞお読み下さいますように。


3.「冬に宗教の勉強はどうでしょう?」

今日も自殺の記事を読みました。母子の心中でした。どんなことがこの二人に起こっていたのだろう、どうして自殺を考えたのだろう、どうして絶望したのだろう、などなど悲しみと同時に、たくさんの疑問が出てきます。最近は警察の活躍や自動車技術の進歩などで、交通事故死が年間1万人を切るようになったそうですが(不確かなのですが)、一方自殺の数は年間3万人に達し、まだ増える傾向のように聞いています。人を殺すのは殺人罪ですから、やはり自分を殺すのも、殺人には違いないので警察はその予防対策も考えてくださっているのかもしれませんが、交通事故よりその取締りが難しいのでしょう。

でも直に、急に思い立って行う自殺は少ないのではないかなと思います。思いあぐね、考えつくして、決意するのではないでしょうか。やはり希望を失ったことからではないでしょうか。死んだら天国や極楽があるとは教えられたことがありますが、自殺したら天国や極楽へ行けるとは教えられていないので天国・極楽へ早く行きたいと考えての自殺はないと思います。思いあぐねたとは、ずっと思い続けてということでしょうから、注意して見ていると、自殺の予兆が見えるのではないかと思います。だから、いつも注意して見ている人がいてくれたら手遅れになる前に見つかるのではないでしょうか。

昔は近所付き合いが多く、近所にどんな人が住んでいるか皆お互い知っていました。そして隣の今夜のおかずまで分かるほどで、今夜は多く作りすぎたとか、魚をいっぱい釣ったからとかの理由でおかずの御裾分けや交換があったり、お隣の子供が我が家で食事をしていったりしました。要はお付き合いが深く、何でも話したり、喧嘩もしたりしていましたが、それがなくなって来て誰もお隣を気にしなくなって、それで注意して見てくれる人がいなくなってきました。よく小説などでも取り上げられますが、誰も自分のことを気遣ってくれる人がいないのが一番辛いことの一つです。誰も気遣ってくれる人がなくなり、貴方は必要ですよといってくれる人が無くなり、話せる人が無くなると人は絶望するのだと思います。

ところで、最近、登校拒否や引きこもりも増えているようですし、「ニート」と呼ばれる人たちも現れました。そして、麻薬や犯罪も増えています。私も皆さんと同じことを考えているのだと思うのですが、もう少し心の教育に力を入れるべきではないかと思います。でも学校だけでは難しいようですから、学校の外で、また、学校を卒業した人にも継続的に、ある意味一生受ける心の教育が必要だと思います。そして、心の教育はやはり宗教に頼るのがいいと思っています。日本の場合も少し宗教がなくなり過ぎて同時に心の教育が少なくなりすぎたような気がします。

儀式のための宗教ではなく、生きるための心の教育をする宗教が根付いて欲しいと思います。子供に、学生に宗教を勉強してもらう為には、先ずは大人からはじめるべきです。幸いここカナダの新聞には色々な宗教のコンタクト先が出ています。本ででも自分で勉強して、あるいは周りの方に話を聞いて、一つの宗教を選んでみて、そして一度その宗教の集まりに参加してみてはいかがでしょうか。お考えに合わなければ別のところへ行けばいいですが、宗教の勉強は始められます。やはり宗教が人生を生きるうえで大きな助けになるのではと思っていますし、物質的なものではない心の助けを持ち、また人生を一人で歩んでいく一人一人に心の助けを持って欲しいと思います。また、宗教の団体は定期的に集会を持ちお互いのお付き合いを通じて助け合いが出来るものと思います。常に気遣って下さる方ができると思います。

宗教だけで心の教育ができ自殺や犯罪が解消できるとは思っていないのですが、自殺を含めた色々な不幸なできごとを解消するための一助にはなると思います。その意味では既に宗教を勉強しご自分の宗教を決められた方々も宗教の自由を理由に他の宗教を否定することに努力するのではなく、人々がもっと宗教を勉強する方向へお導きいただきたいと思います。宗教は勉強じゃない信仰だ、宗教は勉強など必要ないとのご批判もあろうかと思います。またそのご批判もある意味正しいと思いますが、何か知らないことを始めようと思うとやはり勉強から始まるのではないかとの意味で使わせていただきましたのでお許し下さい。是非一度宗教の勉強を始めてみてください。きっと何時か人生の助けになりまた、人生を豊かにしてくれるものと思います。

私は趣味が少なく、また、カナダに来てからまだ一年も経ちませんので、パソコンに向かって思いつくことをダラダラと書き綴り申し訳ありませんでしたが、次回はカナダに長年いらっしゃる株式会社ニチリンの難波さんにお願いいたしました。どうぞお楽しみに。

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