
リレー随筆
身近な拉致問題?
Noritake Canada
藤井正敏
最近の報道で北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの夫とされる男性が、彼もまた韓国人の拉致被害者である可能性が非常に高いことが明らかになりました。私は拉致のニュースを聞くたびに2002年10月に24年ぶりで北朝鮮から帰国された曽我ひとみさんのコメントがどうしても思い出されます。
彼女の日本での第一印象は、「人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます・・・」でした。それを聞いた時、1981年に私が最初のアメリカ駐在を終え、6年振りで帰国したときの印象を昨日のことのように思い出しました。
今回でもう5回目の海外赴任ですが、最初の赴任当時は会社に駐在員の一時帰国の制度もありませんでした。結婚してすぐの単身赴任、7ヶ月遅れての妻と生後2ヶ月になる長女をロスアンゼルスに迎え、アメリカ国内での転勤、そして次女の誕生と、仕事も家庭もただ夢中であっという間の6年間で、一時帰国の気持はあまり持ちませんでした。
新しく開港した成田空港に飛行機が着陸体制に入った時、やや興奮していた私の目に映る日本の山、丘のしっとりとした緑の美しさは信じられないものでした。自分の生まれた日本はこんなに素晴らしいところだったのか? 両親のいる実家では久しぶりに会う末っ子の私に兄弟も皆優しくしてくれました。昔怖かった近所のおばさんも孫ができ、目はつり上がってなく、ただただ優しいおばあさんでした。近所の狭い路地はもっと狭くなっていましたが、何とも言えぬ暖かい思いが胸に迫ってきたのを忘れません。インターネット、日本語テレビ、豊富な日本食が揃ったトロントの若い駐在員の方々はそういう経験は少ないかも知れません。
日本から拉致され、故郷に帰ることも出来ない絶望感、その後の現地での結婚・・・その24年間を、平和な私の6年間と比較しては本当に申し訳ありませんが、単純で感激屋の私はちょっと日本を離れていただけで、勝手に曽我ひとみさんに共鳴させてもらいました。
曽我ひとみさん、蓮池ご夫妻、地村ご夫妻が帰国された4年前当時、私は日本国内にあるノリタケの3工場を担当しており、金属食器(ナイフ、フォーク類)を製造している新潟に時々出張していました。そこの総務部長の話では、佐渡島へフェリーの出ている寺泊(てらどまり)という小さな港町から通勤していた我社の若い従業員が、15年位前に突然行方不明になった事があったそうです。給料も私物も取りに来なかった由で、おそらく身寄りも少ない従業員だったのではないかと思います。拉致されたのか自ら蒸発したのか不明ですが、北朝鮮と向かい合った場所柄どうしても拉致に結びつけたくなります。こんなのどかな町でそういう事が身近に起ったのかも知れないのは大変なショックでした。未だ行方不明で拉致被害者と認識されていない方も実際は数多くおられる筈です。
現地で亡くなったとされる方々、何時帰国できるかも知れない方々、そのご家族の心労・・・これは個人個人にとって不運と言う一言では何とも済まされぬ、としか申し上げられません。ご家族もご帰国された曽我さん、蓮池さん、地村さんにとっても辛かった経験、現地に残された方々や日本におられるご家族のことを考えると、拉致問題は個人的に解決されたと思うことが出来ないでしょう。なかなか出口の見えない問題ですが一日も早い本当の解決を願っております。
(写真:新潟県寺泊港から佐渡を望む)
次回の執筆は、JVC カナダの池辺社長にお願い致しました。
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