リレー随筆

 

タイガー・ウッズの涙、そして父の事

JVC Canada Inc. 池辺 渉



全英オープンの優勝を決めて泣いたタイガー・ウッズを見て、どうも腑に落ちない気分でした。マレーシアに駐在していた時にクアラルンプールのマインズでのプレーを真近に見て、他のプロを圧倒していた彼の姿があまりにも印象的だったのです。しかし、プレー直後のインタビューで「この優勝の瞬間を父に見ていて欲しかった。でも、もう二度とこの喜びを分かち合えない」と話しているタイガーを見て私の目も少し熱くなりました。そして8年前に亡くなった父の事を思い出しました。

父は1997年3月に77歳で亡くなりました。最後の日の1週間前、私はまだ意識のある父と会う事が出来ました。当時私はタイ駐在から隣のマレーシアに移ったばかりで、新しい会社を興す準備に追われていて昼も夜も無い状態でしたが、姉が「もう危ないかもしれない」という電話をくれたのです。

病院のベッドの上の父は痩せて唇がカラカラになっていました。私が濡れた脱脂綿を口に含ませると思いのほか強い力で吸ってきました。時々本当に苦しそうにもがいているので、担当のお医者さんに相談すると先生はびっくりした顔で「痛みを訴えられないので、今の薬で十分と思っていました。すぐ、処置しましょう」と言われました。それを聞いて私は父の悪い癖がまた出ていると思いました。「自分が我慢すれば良い」「不平不満を言わない」「自分よりも人様が第一」という態度でした。これそのものは文句のつけられない生き方ですが、時々家族にもそのしわ寄せが来たりして、私は内心ずっと反発していました。

父は5人兄弟の長男として生まれ、小学校を出るとすぐ釜たきの手伝いをしてそのまま旧国鉄の蒸気機関車の運転手になりました。戦争中は「戦場に架ける橋」で有名になった秦麺鉄道の運転をしていたそうです。タイのカンチャナブリという所にあるこの鉄道を訪ねた事がありますが、イギリスやオーストラリアの若い兵士達の墓標が無数に立っていました。父はどんな地獄を見たのでしょう。また、いつ爆破されるかも知れない列車をどういう思いで運転していたのか。父は当時の事は一切話さずじまいでした。定年退職した後は地域のボランティア活動に精を出し、市から貰う感謝状を大事にしていました。

私は自分や家族の幸せを大事にしてこそ、初めて本心から他の人の世話も出来るとずっと思っていました。ですから自分を犠牲にして他人に尽くすというのは自分を誤魔化しているとしか思われませんでした。父に「何か自分で打ち込める趣味とか始めたら」と何度か勧めてみましたが、その度にただ静かに笑っているだけなのです。反論しない父にも腹を立てていました。私は「父のように自分を誤魔化したくない」と、次第に父を反面教師のように見るようになっておりました。

父の訃報を受け、また田舎へ(宮崎県都城市)とんで帰りました。現役から退いて20年たった人の葬儀なので、家族と親族だけのこじんまりとしたものと考えていましたが、通夜からはじまり葬式が終った後の自宅にも焼香をして下さる人が絶えませんでした。当然の事ながら私の知らない人ばかりです。「あんたのお父さんには、まこち世話になったっよ。ありがとね」と口々に言われます。私は愕然としました。「父は全然自分を犠牲にしてはいなかった。実はとんでもない贅沢な道楽を見つけていたんだ」とようやく気がついたのです。感謝状の紙切れを大事にしていたのも、それが多くの人からの「ありがとう」の証だったのでしょう。息子である自分が結局一番父の事を分かっていなかったという事を初めて思い知らされ人並みに泣きました。そしてその時は自分は十分泣いたと思っていました。

マレーシアに戻ると新会社のスタートで毎日新しい事が山のように押寄せ、父の事、田舎の事は全く頭の片隅にも上らなくなりました。それから半年以上経った頃でしょうか、周りが真暗だったので日本へ向かう夜行便の中だったと思います。突然、私の両方の目からハラハラと涙が流れてきました。あまりにも突然の事で自分でも何が起こったのか解らなかったのですが、次の瞬間ハッとしました。「父はもう永遠に帰って来ない。2度と会って話が出来ない」という事実が突然、私に迫って来たのです。生前全く父の事を理解していなかった私の浅薄さ浅はかさを悔やむ思いも、ない交ぜになっていました。私は周りの乗客が寝静まっているのをいい事に涙が流れるままにまかせておりました。気持ちが段々と落着いてくると、漸く父が私の心のどこかに落ち着いた感じがしました。

私には2人の娘がいます。カナダ生まれの15歳とタイ生まれの10歳です。私は子供達の前で普段、下着姿のままでうろうろ動き回り、休みになると愛するギブソンのギターを抱えて熱唱しています。「パパうるさくてテレビが聞こえない」と文句を言われるのでクリスマスに買ったアイドッグを相手に歌っています。「パパ、臭い、嫌い」と言われるようになるのも時間の問題かも知れません。そうやって子供は親を否定する事で始めて自立出来て行くのでしょう。しかし、私が死んで(もっとずっと先の事にして貰いたいのですが)半年か1年くらい経ってから子供たちの目から突然ハラハラと涙が落ちてくるような事があったら、やっと私は父に少しだけ恩を返せるような気がしています。




愛用の「自分カラオケ」7つ道具です。




次回の執筆は、カナダ三井住友銀行、会田社長にお願い致しました。

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