Who's Who Canada−著名カナダ人を知ろう



オスカー・ピーターソン (Oscar Peterson)

“鍵盤の帝王”が奏でる「ホッグタウンブルース」は
トロントブルース

Oscar Peterson


フリーランスライター 三藤あゆみ


毎年クリスマスシーズンになると必ずどこかで耳にするのが、オスカー・ピーターソンがピアノで奏でるクリスマスソング。ウッディ・アレンの映画のシーンのような、冬のニューヨークを思わせるナンバーだが、このジャズピアノの大御所は、1925年モントリオールに生まれ、30代前半からはトロントを活動拠点にし、ミシサガ市民となってもう久しい。正真正銘の、カナダが生んだミュージシャンである。

オスカー・ピーターソンの父ダニエルは、オスカーを含む5人の子供たちが小さな頃から楽器を買い与え、音楽教育にたいへん熱心だったという。西インド諸島の英バージンアイランドからカナダへ移住してきたダニエルは、当時モントリオールのカナダ太平洋鉄道で働いていたが、独学でピアノを勉強し、かなりの腕前を持った演奏家であった。子供たちに、音楽家になりたかった自分の夢を託したかったのか、かなりの“ステージパパ”であったらしい。

オスカーは5才からトランペットとピアノをはじめた。しかし、7才になる年に結核で肺をやられ、約1年間もモントリオールの小児病院で闘病生活をおくることになってしまう。命はとりとめ退院したものの、トランペットのほうは続けられなくなってしまいピアノに専念するようになる。それが偉大なジャズピアニストへの道のはじまりだったようだ。

父ダニエルは、彼をモントリオール音楽院に通わせたり、ハンガリー出身のクラシックピアニストに弟子入りさせたりして、息子のピアノキャリアを一生懸命支援した。世界的なクラシックピアノの演奏家にさせるのが夢だったのである。世界恐慌、第二次世界大戦時代のカナダでは、この上ない音楽のエリート教育である。オスカーは14才で、CBCの主催する全国ピアノコンクールで優勝、高校時代にはすでにプロ並みの腕前となっていた。しかし、すべては父の望み通りにはいかず、オスカーはジャズピアノの道を選ぶことになる。

コンクール優勝後はCBCラジオで何度も生演奏を披露し、カナダ国内で天才ジャズピアニストとして知られるようになる。1949年、ニューヨークのカーネギーホールデビューを果たす。50年代以降は世界各地で様々な賞を受け、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルド、スタン・ゲッツ、レイ・ブラウン、ジョー・パス、カウント・ベイシーなどの著名アーティストたちとも共演を行う。

今年で81歳を迎えたオスカーは100以上ものアルバムを出している。『The Trio(ザ・トリオ)』、『Body & Soul(身も心も)』、そして1964年の『Canadiana Suite(オスカー・ピーターソン トリオ、カナダ組曲)』、『WE GET REQUESTS(プリーズ・リクエスト)』などは特に有名である。

日本にもファンが多く、2004年には日本とカナダの交流75周年を記念して、日本での特別リリース『WE GET REQUESTS AGAIN-THE BEST OF OSCAR PETERSON (プリーズ・リクエスト・アゲイン―ザ・ベスト・オブ・オスカー・ピーターソン)』が発売された。

ところで、アルバム『Canadiana Suite』に入っている曲Hogtown Blues(ホッグタウンブルース)のホッグタウンとはトロントのこと。つまりこれは“トロントブルース”なのである。ジャズ、ブルースがお好きな方はトロント滞在中にぜひ一度、ホッグタウンをBGMに夜のダウンタウンをドライブしてみてください。






≪著者プロフィール≫
三藤あゆみ
フリーランスライター/翻訳家、映像プロダクション通訳。日本の高校卒業後イギリスへ渡り、後にトロントに移住。埼玉県生まれ。
 

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