リレー随筆

 

失われた色彩感覚


NSK Canada 岩本 章



「瀬戸引きの金物の青いコーヒー湯沸しに古代青の茶碗と受け皿、薄いコバルト と白の市松模様のミルク入れに、白地にオレンジ色と青の図案のがある茶碗、緑 と茶と桃色の花と葉がかいてあるマジョリカ青の壺、これが全部青いテーブル掛け の上にのせてあり、黄色い背景で、テーブル掛けの上にはこのはか、オレンジ二個 とレモン三個が置いてある」

これは下図のスケッチを説明したある画家の書簡にあるものです。この書簡集に このような説明が幾度となくでてきます。これを読んでいてふと思ったのです。もし、 この受け手であったならば、この手紙を読んで色彩つきの絵がイメージできるかで あろうかと。目をつむってみました。デッサンは浮かぶのですが、色がでてきません。 一つずつならかろうじてできます。しかし、絵全体となるとうまくいきません。 背景、静物、テーブル掛けの構成は浮かぶのですが、色は付きません。


次のような、簡単な風景でもこれが出来ませんでした。 「青空を背景にした桜だ、金色とオレンジ色とした若芽、白い花の房、それが緑色 がかった空の青に対して、まったく壮観だった」

ほとんどセピア色程度にしかなりません。私の知っている桜ではなく、この画家の 目に映る桜は違うようです。でもイメージが浮かびません。

画家は特別な人たちです。これは難しすぎるのだと、課題を簡単にしました。目をつむって紅葉、新緑、ネオン街などを思い浮かべました。遠くにかすかに色らしきイメージが出てくるのですが、目に浮かぶには程遠いすがたです。頭に浮かぶものから色が失われつつあるようです。

何故だろうと考えました。昔からそんなものだったのだろうか。いや、違います。 遠い昔は確かに色付きイメージが確かにありました。いつの間にか弱くなっていったようです。そういえば仕事では、まず何種類もの色のついたことを考えることはまずありません。目をつむって製品を考えても、これは白黒でした。これを約30年も続けているうちになくしたのでしょうか。理屈と数字だけの世界に長く棲みすぎたのでしょうか。

テレビ、映画を見る、風景や絵画を観る。これはすべて受身でするので、頭の中 に色彩が再構成されていないようです。それと、最近はあまりに多くのことを見たり 聞いたりしているうちに、目をつむってじっくり情景を思い浮かべることがなくなった ことも関係しているかも知れません。

・・・と自分を慰めて見ましたが、同時に、もしかして私は色彩音痴ではないかと不安が よぎりました。確かに子供のころ絵はうまくはなかった。今も洋服も色の組み合わせが おかしいとよく言われます。しかし、これをなんとか否定しなければなりません。その為には この感覚を取り戻さなければなりません。

しばらく前から、ぼけ予防や記憶力回復などのソフトや本が沢山でています。私も 数独を始めました。けっこう頭の刺激になって新鮮でした。やっていくと演繹的論理 が一番ですが、同じように思いつき的推理も重要です。でも最近は難しくなるとともに 時間がかかるので足ふみ状態です。

しかし、これらは色彩感覚再構築の助けになるようなものはないようです。人に頼ることは出来そうもありません。自分でやるしかありません。そこで、きれいなものや色彩にあふれたものを見たら、少したったら思い浮かべてみることにしました。今のところ効果はまだありません。でも、いつの日にか次のような文章を読んで感動できるようになれることを夢みています。

「少女の像は、背景は強く緑をかけた白、胴着は血紅色と紫の縞。スカートは青地に オレンジがかった黄色の大きな斑点がある。艶のない肌は灰黄色、髪は紫がかって、眉 と睫は黒で、眼はオレンジ色と紺青。指の間に夾竹桃の枝が一本」



次回の執筆は、カナダみずほコーポレート銀行の若林様にお願いいたしました。


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