カナダのレッスンプロ 
藤井 勇 が語るゴルフ体験記




その1   カナダでゴルフに出会うまで  



終戦の年昭和20年に、大阪府の北の端、狸や猪が住む丹波の山奥で生まれました。その疎開地で6歳まで育ち、何より木登りが得意で、まるで山猿のように次から次へと高い木を目指してよじ登っては、よくしかられたことを覚えています。育ち盛りの頃、踏み台を使って棚の上にあった「缶」を見つけ、その中に入っていた丸く平たい物を待ちだして遊んでおりました。それを丘の上から渓谷に向かって投げると、石ころと違って驚くほど遠くまで飛んで行きます。そのうちに人差し指を鍵のように曲げて投げてみると、空中で舞うように飛んで行くのです。そうやって遊んでいるうちにドンドン面白くなっていく。ひょっとするとこの頃から何かを空中に飛ばす喜びを知っていたのかも??将来それがゴルフボールになろうとは知る由もありませんが・・・。

缶の中身を全部投げてしまって帰ってみると、母に「その銭入れの缶をどうして持ってるの?」と聞かれ、自慢げに「あそこの丘から投げるとネー、谷底まで飛んで行ったよ」と伝えたものです。山奥で育ち「お金」の知識が全くなかったのです。もちろん叱られました、「お金を粗末にすると罰があたるよ!」と(これも今になって考えると生涯「金」がたまらない所以かもしれません)。

僕が小学校に入るというので、一家で大阪市内に引越すことになりました。昭和26年の大阪は、洪水の如く行き来する「人、人、人、」「車、車、車」の渦でもう別世界でした。人里離れた山奥育ちの自分には見るもの全て珍しく、今風に言えば、まるでタイムマシーンで未来の時代へやって来たような感じです。道路を横断しようとすると、みんなが「ピッピーッ」と警笛を鳴らします。「大阪ってうるさいなぁ」と思ったものです。後で分かったことですが、信号なんて知らないので無視して渡っていたようです。オォ、危ない、危ない!

間もなく近所に「紙芝居」がやってきて、それを他の子供に混じって観ていると「お金は?」と聞かれ、黙っていると「5円だよ」と言います。「分からない」と言うと、お金が無いなら見ちゃダメだと言われ、追い出されてしまいました。家に帰ってそのことを母に打ち明けると、「さぁ、これを持ってお行き」と5円硬貨をくれました。あれッ、山で投げたのと同じヤツだ、と思いながら、生まれて初めて自分で「お金」を使ったのが、「紙芝居」でした。

そんな世間音痴でしたが、無事、小学校、中学、高校と人並みに進学することができました。高校時代は、模範生らしく生徒代表副会長を仰せつかったり、暴走族よろしくオートバイを乗り回して先生方を始め、母親に心配をかけたチョッと不良少年でした。

工業高校電気科卒業後、大手電機メーカに希望を抱いて就職。就職するや否や封建的(?)学歴主義を実感してイヤになり、日本を飛び出す決心をしたのが18歳でした。日中は我慢をして勤めながら、夜は、英語学校2ヶ所に通い、タイプを習い、ダンスを習い、3年間必死でアルバイトもして旅費を貯めました。その頃、戦後では初めて、カナダ政府が日本からの移住を受け入れることになったことを知り、早速手続きをして、カナダ入国を果たしたのでが21歳の春でした。丁度40年前のことです。

トロントに移住して間もなく、日系2世の方がゴルフに連れて行ってくれました。生まれて初めてのゴルフ。その方からティアップの仕方、クラブの持ち方や振り方等、一から教わりながら、ボールを追いかけて走り回ったことを覚えています。その方が我ゴルフの最初の先生でした。結局その時はそれほどゴルフに興味も沸かず、それっきりになりました。(あの時そのまま続けていれば・・・。いや、今更言っても始まりません)

次にゴルフに出会えたのが、その10年後のことです。

(6月号につづく)

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