子供と補習校と私



リテラシーと「書く」ということ


“買い物リストを書いたり、コンピューターゲームの画面の指令を
読むのも、メールを書いたり読んだりするのも、
すべてリテラシー活動・・・”





Hub International  

石橋 朋子


うちの子供が補習校に通い始めて、早、5年目になる。国語、算数、生活科で始まった科目も今は、生活科の代わりに理科、社会となり、内容もそれなりに難しくなっており、私が教科書を読んでも、興味深く、学ぶことが多い。

私も俗に言う、帰国子女で、小学校時代はオーストラリア、高校時代はアメリカで育ち、二回とも補習校にお世話になった。オーストラリアでは、当時は午前中授業のみで、国語と算数しか習わなかった。四年生以上になると、土曜のほかに、平日の夜に週一回、補習授業があり、真っ暗な校庭で友達と走り回ったのはスリルがあり、毎週、補習校に喜んで通った記憶がある。宿題も今と比べると一段と少なく、どちらかというと、友達に会いに行っているようなものだった。帰国後は、理科と社会をまるで習っていなかったため、ことに歴史の人物の名前がまるで読めず、聞いたことさえもなく(ビデオもなかった時代なので、NHK大河ドラマなども今のように見ることが出来なかった)、とても苦労した。

私の親はとても厳しく、当時の補習校だけではとても足りないと言い、通信教育、ドリルなどを毎日やらされた。その上、日本語を忘れないように、毎日、日記を日本語で書かされたり、日本の祖母たちに手紙を書かされた。強制されたせいか、私は書くことが嫌いになってしまった。日記も「今日は〜に行きました。〜ちゃんと遊びました。楽しかったです」のような、単調なつまらない文章ばかり書いていた。現地校も主に文法の練習ばかりしていてあまりまとまった文章を書くチャンスもなく、英語でも日本語でも「文章を書く」ということが苦手であり、好きではなかった。書くことがようやく好きになったのは、小学校高学年から、友人達と交換日記を始めたり、手紙を書き出したりした頃からかもしれない。要は自分で「文章を書く」という手法で相手に何かを伝えたいという意思があり、目的がはっきりしたからだと思う。

それに比べて、娘は小さい頃から書くことが好きでおっくうではなかったようだ。保育園に通っていた幼児期から、日常的に絵と同じように言葉、文章を書く機会が多かった。現地校でも幼稚部の頃から、自由にスペリングが間違っていても直されることもなく字、言葉を書いていた。両方の言語において、「こう書きなさい」、「文章が下手だ」などというお叱り・注意が、学校、家庭でもなく、自由に書かせてもらっているという印象だった(家庭では単にきちんと見てあげる時間がなかっただけかもしれない)。それがのびのびと気軽に筆を執るのにつながっているのだろうか。おばあちゃんへの手紙なども、日本の手紙の形式をまるで無視しているが、自分の思いを自由に書き、心がこもっており、読み手にとっても楽しい内容だ。

私の小学生時代に比べて、低学年から補習校・現地校でも短い文章から長い作文、大きなプロジェクトまで、とにかく書くことによる自己表現の機会が多いのは、良い事だと思う。大人になって仕事で書くことが日常茶飯事の環境では(特にすべて電子メールでコミニュケーションする今)、やはり説得力のある文章を速くきちんと書けるというのはとても大事なスキルだと思うので、小さい頃から文章を書く機会が多いのは大人になっておおいに役立つと思うし、それ以上に、書くことが好きな子が現代の方が多いのであれば、それはその点においては教育内容が改善されたに違いない。

今年初め、現地校で親のためのリテラシーワークショップというのがあったので参加した。そこで講演された先生は、「リテラシー」というのは読み書きの能力・ 教養という意味を確かに指しますが、それは何も高度な論文を書いたり、難しい長編小説を読むことを言うのではありません。買い物リストを書いたり、コンピューターゲームの画面の指令を読むのも、メールを書いたり読んだりするのも、すべてリテラシー活動につながるのですと言われ、なるほど、と思った。

読んだり書いたりするのが苦手な子供とは、このような子供が好きな遊びを一緒にしたり、一緒に買い物リストを書いてからお買い物に行ってみたり、さりげない日常のリテラシー活動のチャンスを有効に共有することによって、日本語、英語の発達にも役立てることが出来るのだと認識した。最近、任天堂DSからゲーム感覚の教育ソフトが出ているが、それもこのような発想から出来たのだろうかとも思った。

その反面、現地校では文法の授業が全くないので、いまだに基礎的な文法ミスが多いのは気になる。著名な児童文学者などの本をたくさん読めば、自然に彼らの書き方のスタイルが身につくのでは、と考えてみるが、まだその効果は見られない。こういった技術的な面は漢字を覚えるのにラクで楽しい方法などなく、こつこつ毎日少しずつ練習しなければならないのと同じで、やはり文法問題などやらせた方がいいのか、と悩む。かといって、読むこと、書くことが嫌いになられても困るので、このバランスは非常に難しいと考える今日この頃です。

と、書くことが苦手な私が、文章を書く役目をこの度、仰せつかってしまいましたが、これも自分の書く力を向上できる機会として、ポジティブに捉えさせて頂きました。とにかく、日本語・英語のリテラシーが今後とも楽しく向上できるよう、親としてアンテナをはりめぐらせていきたいと思います。




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