Who's Who Canada−著名カナダ人を知ろう



神話化されつつあるデパート王


ティモシー・イートン (Timothy Eaton)
1834 - 1907


Corneille


フリーランスライター 三藤あゆみ



今年もまたクリスマスショッピングの季節がやってきました。週末の混雑したショッピングモールを考えるとそれだけでぐったりしますが・・・それでもクリスマスの飾りつけや外の美しいイルミネーションは、ホリデー気分を盛り上げてくれます。

さて、ショッピングモールといえば、トロントダウンタウンのイートンセンター内に、かつてカナダ最大のデパートチェーンだったイートンズの創業者、ティモシー・イートンの大きなブロンズ像がありました。その像は、トロント市民によく知られる待ち合わせ場所となっていたほか、像の左の靴を手でこするとよい事があるといわれていました。毎日何人もの人々がイートン氏の左足を撫でるので、左側の靴は右とくらべて色も明るくピカピカでした。

1999年、イートンズが倒産してシアーズ・カナダ社に買収された後、この像はどうなったのでしょう?

ブロンズのイートン氏は今、オンタリオ博物館(ROM)に座っています。古代文明や恐竜時代の貴重なコレクションを誇る王立博物館に、デパート創業者の像が収蔵されるとは、どんな人だったのかちょっと気になりますね。

ティモシー・イートン氏は、19世紀、深刻なじゃがいも飢饉が発生したアイルランドを後にしカナダへ来た多くの移民のひとりでした。ティモシーは、1834年、北アイルランドの裕福な農家に生まれました。父親は、彼が生まれる2ヶ月前に亡くなってしまいましたが、当時にしては珍しい2階建ての豪華な家を残しました。農業を続ける自立心旺盛で働き者の母と5人の兄弟姉妹に囲まれ、ティモシーは幸せな少年時代を過ごします。

アイルランドでジャガイモの大飢饉が起きたのは1846年のこと。やっと家族が食べていくだけの作物しかできない事態となり、イートン家の兄弟姉妹はカナダに移住して新しい生活をはじめます。その時まだ10代前半だったティモシーだけは、アイルランドに残り、進学のためのアカデミーに通っていました。しかし、アカデミーでの勉強にあまり興味がもてず、カナダにいる兄のジェイムズに相談したところ、「商売を学んでからカナダへ来てはどうだ。ここなら儲かるぞ」という返事が来ました。

ティモシーはカナダで一旗あげる計画に胸躍らせ、さっそく、小さな日用品店を経営するスミス氏のところで見習いとして働きはじめます。夢いっぱいの青年は、熱心に仕事をし、スミス氏の店の経営にかなり貢献するようになります。倉庫内で重いものを簡単に上げ下ろしできるよう滑車装置を作ったり、暗い倉庫にガス灯を設置したりまでしました。しかし、スミス氏は特にティモシーの才能に目を向けることもせず、お礼ひとつ言わない人だったといいます。それでもかまわず、ティモシーはそこで様々なことを学び、7年後には100ポンドを手に、いざカナダへと旅立ちます。

カナダへ到着すると、はじめは兄たちのいるオンタリオ州の小さな町カークトンに住み、姉と兄と協力して主に乾物を販売する小さなストアを開店します。店のロケーションは、客が店に立ち寄りやすいように郵便局とつながっている建物を選びました。少し利益が出てくるとティモシーはためらうことなく、もう少し大きな町セント・メアリーに店を移しました。

ティモシーは、街の教会で出会ったメアリーという女性に恋をします。美しいメアリーに一目ぼれ、なんとか近づこうとあの手この手を考えます。たいへん保守的なコミュニティだったので、教会主宰のピクニックを待つしかなく、そこでやっと話す機会を得たそうです。そして1年後には結婚。妻のメアリーは帽子をデザインしたり、婦人服を仕入れるなどしてティモシーのビジネスの良きパートナーとなります。

メアリーの作る帽子が大ヒットすると、イートン夫婦はついにトロントへ進出。
ヤング・ストリートの178番地に繊維製品を販売する店舗を構え、当時にしては革新的な小売ビジネスをスタートします。ひとつの商品は誰が買おうと同じ値段、つまり定価を導入し、掛売りなしで現金のみ受け付けるポリシー。また、世界初といわれる、お客さんが商品に満足できない場合は返金するという保証つきのシステムをはじめました。

1884年には、カナダで初めてのカタログ通販を開始します。これは市街地から遠く離れた開拓地で農業をする人々からたいへん重宝され、カタログは『ファーマーズ・バイブル』と呼ばれるようになりました。写真も細かい商品説明もない、主に商品名と価格のリストのような冊子でしたが、満足しなければ返金するという「マネーバックギャランティー」がしっかりと守られたため、人気が出たのだそうです。

ティモシーは、イートンズが急成長して大きくなっても従業員を大切にし、労働条件や環境が過酷だった当時にしては珍しく、社員に有給の病欠休暇を与えたり、労働時間も午後6時までと短くしたりしました。夏の週末は早く店を閉めて従業員が2時には退社できるようにしたそうです。第一次世界大戦が始まると、希望して戦地赴く従業員がでてきます。イートンは、家庭持ちの社員にはその間も給料全額を払い続け、また、独身男性には給料の半額を払い続けました。戦地へ贈物をしたり、また、戦争から戻ってきた社員が、前と同じようなポジションにもどれるよう手配しました。

ティモシーの意向で、イートン家は地域貢献にもかなり力を入れていました。100年以上続く、あのトロントのサンタクロースパレードも、ティモシー・イートンが始めたものです。世界恐慌の年も戦時中もトロントの子供達にサンタの夢をと、パレードを中止することはなかったそうです。サンタクロースパレードは、80年代までイートンデパートが主要スポンサーでした。

オンタリオ博物館へも、1920年代から博物館がコレクションを増やせるよう寄付をし続けていたそうです。

1907年に肺炎が悪化して、ティモシーはイートンズ創業50周年記念の祝いを待たずにこの世を去ります。社員からイートン家に、ティモシーのブロンズ像が贈られたのも1919年の50周年記念の時でした。

イートンズのビジネスはティモシーの死後も成長しつづけ、第二次世界大戦中にピークに達します。カナダの東から西まで次々と店舗がオープンし、7万人を越える従業員を抱えていました。

しかし、イートン帝国とまでいわれた会社も1999年についに倒産してしまいました。イートンズデパートがカナダから消えた日には、まるで人が亡くなったときのお悔やみのように、ティモシー・イートン像のまわりに一般の人が集まり、花束やカードなどがたくさん置かれました。

そんなわけで、ティモシー・イートン氏は、カナダの歴史に名を残す商売人・経営者となったわけです。今でも、ROMにあるイートン氏の像の靴を撫で、グッドラックを願う人が後をたちません。ウィニペグにもうひとつ、像のレプリカがありますが、こちらは特にアイスホッケーの試合に勝つ願掛けでイートン氏の左足の靴を触りに来る人が多いのだそうです。



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