リレー随筆

 

能鑑賞のヒント




 

 飯田 孝司   (カナダ日本通運株式会社)



余り一般受けしそうにない話で恐縮ですが、一年前の今頃(11月)トロントで能の公演が行われたのは皆様ご記憶に残っていることと思います。私も当時商工会の理事として準備のお手伝いをさせていただきました。実は私は学生時代を通じて10年位、謡、仕舞、能管を習っていた経験があり些か理解しやすい立場にあったので準備委員会に名前を連ねました。

一般に能と言うと普通の方は余り興味が無いジャンルでしょうし、日本の方でも初めて能を観られたと言う方も多かったのではと思います。そういう意味では、あの公演はカナダの人々への日本文化の紹介と言う本来の目的と同時に日本に居ても余程のことが無い限り能楽堂へは足を運ぶことがなかったであろう日本人にも能を鑑賞する機会を提供できたという二重の意味で意義深いものであったと思います。

歌舞伎や文楽と並んで、能は日本の古典芸能の一つとして有名ですが(だと思いますが)、普通、能に関連するものに触れる機会は誠に少なく、正月の三が日の何れかにNHK教育テレビでお面を被ってなにやら古語でウーウー唸っている舞台中継、はたまた、時代劇の結婚式に長屋の大屋さんが謡の一節である「高砂や〜」を神妙な顔をして歌っているシーンや大河ドラマで信長が桶狭間の合戦に行く前に「人生五十年〜」と一人で踊るシーンを見るくらいでしょうか。古典芸能の中でも歌舞伎や落語と比べてメディア表出度は低く、畢竟この情報社会での認知度も可也低く、興味が無ければ、能ってどういうものかと言われてもはたと困ってしまうのが普通のようです。時には「能?あ〜あの鞭声粛々ってやつね」などと仰る方もおりますが・・・えー、あれは詩吟です。

能豆知識@
お面⇒オメンではなくオモテ、踊る⇒舞う、歌う⇒謡うが正解。信長が舞い謡っているのは、幸若舞というもので民間に伝わる一種の民族芸能で、能もそのエッセンスは取り入れていると思われますが、正確に言うとあの曲は能にはありません。
 



この様に普通興味の無い方の能に対する印象はこんなところでしょうか。昨今、日本では古典芸能が見直され始めているようで、特に歌舞伎、落語が若い方にも受け入れられていると聞きます。能はその特殊性から今ひとつ一般受けしないと言われますが、一面の真実ではないでしょうか。色々理由はあると思いますが、後で述べますがセリフが全て古語であることや、テンポが遅いこと、極端に日常的所作を省いた動き、などなどが歌舞伎などと比べて取っつきにくいものがあるのではと思います。

何故そんな取っつき難いものに私が興味を持ったかといいますと、映画好きの両親の影響で私は小学校高学年の頃から映画に夢中になり、その流れの延長で演劇、芝居にも興味を持ちました。また何故か歌舞伎や能を見るのが好きで、小学生のころから塩せんべいと渋茶を飲みながら歌舞伎中継や落語中継を見るというのが無類の楽しみでした・・・というのは冗談ですが、(余談ですが、落語と言えば我々の世代−所謂団塊―は、しん生、文楽の本物を辛うじてTVで見ることができた最後の世代あったという幸運を、喜ばざるを得ないとは思いませんか?)実は能と本格的な出会いはまったくの偶然でした。中学生まではハイジャンプ(当時は正面飛びでした)やハンドボールなどスポーツに勤しみましたが、それと同時に多分に漏れずビートルズやフォークソングに現を抜かし、高校以後は一切スポーツとは縁が切れ、挙句の果ては演劇部に所属し、当時主流であった所謂新劇にかぶれ、やれスタニスラフスキーシステムがどうのこうのと一端の演劇青年(少年?)を気取っておりました。1970年前後の日本の演劇シーンは、唐十郎、寺山修司に代表されるアングラ劇団の勃興期で大学のサークルも演劇といったらアングラ一色でそれにはついてゆけず、「アングラ?ケッ!!」(何せ、こっちはスタニスラフスキーですから・・・。若い!)という事で、塩せんべい、渋茶の流れで観世会と言う能同好会(能楽鑑賞、謡、仕舞の稽古)に入部したのがきっかけでした。というように私と能の関係は始まったのです。

卒業後も5、6年は時々稽古に行ってっておりましたが、仕事も忙しくなり結婚もすると時間的、資金的も続かなくなり能鑑賞のほうも年に1、2度となり現在に至っておりました。それが、カナダに来て能を鑑賞する機会があり、且つ若干でもお手伝いが出来て本当に良かったと思っております。おまけに、私が学生時代にクラブでお世話になった囃子方大鼓(オオツヅミ)の亀井忠雄先生(現在人間国宝)のご子息が今回のトロント公演のメンバーの大鼓方で参加されており、昔ご自宅へ稽古に行ったときに何回か会ったことがあり(勿論ご本人は覚えておりませんが)懐かしさとともに、何か縁を感じた次第です。

能豆知識A
能の囃子は全部で四種類、前述の大鼓(オオツヅミ)小鼓(コツヅミ)能管(ノウカン)太鼓(タイコ)太鼓は曲によって使用されない場合もあります。皮はいずれも馬の皮ですが、大鼓は出演前に火鉢で乾燥させ調子の高い乾いた音を、小鼓は反対に、後ろ側の皮に和紙などを濡らし貼り付け湿気を保ちどちらかと言うと落ち着いた湿った音を出します。   


さて、能は観たけれどさっぱり解からないという印象を持たれる方が殆どだと思いますが、これも致し方のないことだと思います。なにせ、能にしろ歌舞伎にしろ、特に能においては全て古い詞を用いているので耳で聞いただけではストレートに理解するという訳には行きません。能の台本とも言うべき謡の本はその大部分が室町時代に完成した作品で、多少の変移はあったにしても殆ど当時のままを演奏しているので創作された時代に比べるとその詞の意味は非常にわかりにくくなっているのは事実です。さらに、主だった登場人物は仮面を付けるので、その発声法とあいまって余計わかりづらくなってしまいます。けれども、よくよく考えてみると一曲の中でも発声や面によって不明瞭になっている部分と、たとえ音として正確に聞き取れたとしても何の意味か解からないといった所があると思います。謡の専門用語でカタリと言う部分があり、これはある役が物語りをして聞かせる箇所ですが、節らしい節はなく普通の芝居のセリフに近い歌い方をします。

例えば「さても去年の三月十五日、しかも今日に相成りて候、人商人の都より歳の十二三ばかりなる幼きものを買い取って奥へ下り候が・・・」と長々と物語を続けていきますが、よほどの悪声でない限り何を言っているのかまったく解からないということは先ずないと思われます。一方、「それ非情草木といっぱ、真は夢想真如の体、一塵法界の心地の上に雨露霜雪の象を見す」といったものになると、たとえその言葉として正確にムソウシンニョと聞こえたとしてもそれがただちに夢想真如の文字をあて、形相を超えて存在する絶対真理、と言う意味だと解かってもらえるとは到底考えられません。これは昔も今も変わらないと思います。従って前者の場合言葉の意味ははっきりと伝達されなければいけませんが後者に類するところは断片的に出てくる単語や慣用句によってその一段の全体的なイメージさえ感じられれば良いので一つ一つの言葉の意味は必要でなくなってしまうのです。

能には、単純ですが一曲の筋書きがありますが、それはその曲に入ってゆくための手がかりに過ぎないので曲の進展に従って表面的な筋書きはどうでもよくシテ(主役)にしてもそれが桜の精であろうと歴史上の有名人であろうと大した問題ではないといったものになってしまうことが多いのです。そして単純な笛の音、大小の鼓の掛け声やリズム、それにともなった意味のない動き、これらの音と動きの流れに沿って歌われる歌、と言うよりもむしろ一種の呪術的な祈りの言葉にも近いものとなります。この状態ではもはや歌詞の意味は大した問題ではありません。能では言葉と言う具体的なものよりも音と動きといったより抽象的なものによってはるかに微妙で深淵な美しさ表現する演劇形態です。もしまた何時か、能をみる機会があるときはこういった観点でご覧になると、意味は不明でも、きっとまた別の印象を持って頂けるのではと思います。

能豆知識B
所で余り一般的ではない能ですが、能の大成者である世阿弥の『花伝書』はつとに有名で、正し名前は『風姿花伝』と言う一種の能の理論書であり芸道書ですが、その中でも特に人口に膾炙している言葉は『初心忘るべからず』『秘すれば花』だと思います。しかし前者の「初心忘るべからず」は殆どの人が間違って解釈をされているようです。よく結婚式の祝辞などで『初めて会って好きになった頃を忘れずに』と言うような使い方をされますが、世阿弥の初心はそういう意味ではなく、『初めてことに当たる未経験な状態』を初心と言っていて、新鮮さとか純粋さのことではなく、未熟さということに尽きます。ですから世阿弥は『初心に帰る』のは『下手な自分に戻る』こととして初心に帰ることを否定しています。芸の発展途上で上手になりかけた時期に(これを“時分の花”といいますが)其れを自分の実力だと思ってしまう勘違いを戒める言葉です。これ、可也自分のゴルフに当てはまるな〜と何時も思っています。 
 
 

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次号のリレー随筆は、双日カナダコーポレーション、川島誠司 さんにお願いしました。




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