リレー随筆

 

街角に刻まれる歴史の風景





 川島 誠司   (双日カナダコーポレーション)



部屋の整理をしていたら、一冊の本が目にとまった。タイトルは『Discover Toronto By John Richmond (born in Toronto and spent much of his childhood there)?illustrated notebook』となっている。80年代に買った記憶があり、町の古い建物や昔の出来事をイラストで紹介している。本はイラスト中心ではあるが、ぺージの片隅に簡単な説明と昔話が書かれている。値段は$7.95でセールの$1.49の値札がついている。余程、売れなかった本だったのだろう。捨てられないであったところをみるとどこかで気になった本なのかもしれない。片隅に書いてあるイラストの説明や昔話を読んでみると興味深い記述もある。

1800年にはYork (トロント)の人口は403人だったそうである。初代のGovernor, Simcoe(シムコ副総督)の妻Mrs. Elizabeth Simcoeと家族が1793年に駐屯地のトロントに移転した。 邸宅Governor Mansionもなく、英国から持参したテントで一年間もテント暮らしを余儀なくされたとある。1834年にYorkはトロントの名称に戻されToronto Cityとなったようである。

チャールズ・ディケンズが1840年ごろトロントへの旅をして、”The town itself is full of life and motion….,the streets are well paved and lighted with gas…., the shops are excellent..” と記述したとある。あの英国の白黒映画の名作『クリスマス キャロル』の主人公スクリュージとか『二都物語』でも有名なディケンズ がトロントにも来ていたようだ。 ディケンズがモントリオールに旅をしたのは知っていたが多分に同じ時期なのであろうか。Old Montreal には、今でも続いているRascoe’s Hotel には滞在記念のプラックがある。ディケンズ はその時、日記に「モントリオールとケベック市間の道路は北米で一番立派だ」と記述したと聞いている。

April 26,1813, “ Fourteen American Warships were anchored off the Scarborough Bluffs. Panic Struck!” とあり、町では結婚式の最中、突然、大砲の音がし625人の市民が驚愕したそうだ。翌日には、この14 隻の黒船米国海軍がスカーボロから6隻をトロント湾に送り攻撃に出て50発の大砲を撃ったとある。その為、York の死者は35人が出てFort York ( Exhibitionの所、現在観光名所) に市民600数十人を結集したとある。1,700人の米国軍が総攻撃に出た為、Yorkでは更に62人の死者と77人の負傷を出し、午後2時には降参した。

実は、このWar of 1812 (1812-1814)はカナダ人の友人の間でも混同されやすいようだ。 アメリカ独立戦争が1776-1782であるから、どうしてこの時期に米国が2度目の戦争をカナダに仕掛けたかという疑問が沸く。歴史を多少遡って、この疑問を解くことにした。

    英仏植民地戦争 7 year Warがあったのは1756-1763。当時、今のケベック州は New Franceと呼ばれており今のオンタリオ州にはまだ英国植民が存在していない。英国は、この 7 year War に勝ちNew Franceを英国領にした。後にNew FranceはLower Canada, 今のオンタリオ州はUpper Canadaと命名される。語源はSt. Lawrence川の下流と 上流、下流がケベックで上流がオンタリオなのだそうだ。

英国植民がオンタリオに来るのは、この戦争後からズットあとになる。この戦争で英国領になる前のケベックは1534年に ジャック・カルティェがSt. Lawrence 川を上り今のケベック市やモントリール市の地理を発見している。その後、フランス政府は植民兵を送り1608年には北米で一番古いケベック市が誕生した。関ヶ原の戦いが1600年で、一方、合衆国の誕生の由来とされている清教徒ピューリタンがメイフラワー号でアメリカに漂着するのが1620年頃であるから、ケベックの歴史は可なり古いといわざるを得ない。2008年はケベック市誕生400年の記念式典があるので、さぞかし賑わうことであろう。

7year War の後は、アメリカ独立戦争( 1776-1782 )があり、独立戦争の時には英国皇室を支持するアメリカの植民はカナダのQuebec、New Brunswick、Nova Scotiaへ、ロイヤリスト(尊皇派とでも訳すのだろうか)として一旦逃げたものの国境を越えて進軍するアメリカ軍と反撃の戦いをしている。今の英国系カナダ人の古い先祖は、まさにこの人々であろう。一方、アメリカ独立軍はモントリオールを一時期占拠したがケベック市への進軍は冬の寒さで失敗に終わった。アメリカ合衆国の建国の1人であり、独立後フランス大使となったベンジャミン・フランクリンはモントリオール駐屯時に新聞『Montreal Gazette』を発刊。今でも続いている同紙はカナダで一番古い英語新聞ではなかろうか。1789年にはフランス革命があった。白黒映画で観たディケンズ名作の2都物語で貴族がギロチン台に次々と掛けられていく場面を思い出す。ヨーロッパで起きている異変は当然であるのかもしれないがこの植民地を次々と歴史に巻き込んでいった。

War of 1812 (1812-1814) は、英国とアメリカの自由貿易をめぐる戦いであった。ナポレオンが北に英国、東にオーストリア、ロシアを相手に戦ったナポレオン戦争の頃に起きていた。アメリカはフランスと商業貿易をしている事に異議を唱えた英国に戦争を仕掛けた。英国軍はワシントンまで進軍、アメリカ大統領邸宅を焼いたようだ。英国軍はアメリカインディアンに銃を提供し合衆国を窮地に落とす作戦までとったらしい。その後、大統領邸宅は再建され ホワイトハウスと命名される。焼失前の邸宅の色はホワイトではなかった。

同時期に英国の植民地であった当時のYork市人口、700人未満のところにアメリカ軍が突然押しよせてきたのだから、衝撃が如何程であったろうか、それも結婚式の最中にである。このWar of 1812 では勝者も敗者もなく後で英国とアメリカが条約を結ぶに至る。この戦争には直接関係ないナポレオンだが、ヨーロッパ戦争の軍資金に窮し、当時合衆国の中央に位置し大西洋のニューオリンズに至る広大な ルイジアナLouisiana(フランス王ルイ14世由来の植民地)の土地を安価で合衆国に売却している。

      1867年にBritish North American Act (BNA ACT)というカナダの憲法が英国議会で制定されCanadaは正式名称となる。その後、英国でStatue of Westminster条約(1931年)ができ、インド、南ア、オーストラリアそしてカナダ等の国が独立を容認される。このカナダのBNA Act は憲法上の改正手続きが形式的といえども英国議会を経由するため、1984年にPierre Elliott Trudeau首相が自国に憲法を取り戻した。トルドー首相はモントリオール出身の憲法学者でご両親はフランス系の父と英国系の母だそうだ。同じころ、カナダ国民によるCharter of Rights and Freedom人権宣言が制定された。オタワにある国立図書館の資料室にはこのオリジナルが保管されている。国会議事堂にある国立図書館はカナダ人の観光名所でもある。

このイラストレートの本に戻るとしよう。Dundus St. とYonge St.にEaton Centre があるがYonge St.から東側にBond St.がある。ここにMackenzie Houseがある。1850年に建てられトロント初代の市長に与えられたようである。1834年にYorkはトロントの名称に戻されToronto Cityになったようであるが初代市長はウィリアム・ライオン・マッケンジーで、3階建ての小さなレンガの家は今でもMackenzie Houseとして記念館になっている。以前は3時にアフタヌーンティー をサービスしてもらう事も出来たようだ。第二次世界対戦時にカナダの首相であった、マッケンジー・キングの祖父である。Sherbourne St.の辺りは19世紀後半には 富裕層が邸宅を構えていたメインストリートであったようだ。今でも、ところどころにビクトリアンの古い建物が残っている。

     トロントスターによるとカナダの人口は2007年12月で3千4百万を超えたという。1990年前頃に3千万人を超えたという記憶があるので、緩やかな人口の増加なのかもしれない。同じ新聞に「Multiculturalism and Law」 という見出しで国内の多人種間で実践されている宗教とカナダの法律、民主主義のバランスを、どう展開していくかという論文があった。このケースはユダヤ教では女性側からの離婚申し立ては男性側の許可がなければ認められないため、最高裁まで争われたケースだそうだ。法律では女性の地位は護られているため法廷は今まで宗教の実践がもたらす課題にまで踏み込んで仲裁をするのは、躊躇してきたが多人種のコミュニティが増える中で、これからは積極的に関与すようになったようだ。

フランスの植民地から始まり、英国の植民地を経て独立国家となった歴史を持つカナダは今、多人種国家の時代に入っている。宗教もフランス系のカトリック教会と英国系の英国教会が植民地時代から歴史的に優位性を維持してきた。多人種国家は、ヒンズー教、ユダヤ教、イスラム教という勢力のある宗教を国内に抱え、今後、民主主義とのバランスの課題に直面していくであろう。カナダはこれらに対応できる国の理念をこれかも問い続けていくことだろう。

イラストの本を書いたトロントニアンで、この街が大好きであったJohnさんはもう幾つになっただろうか。街に刻まれていく新たな風景を見つめながら、ひょとして、今でもトロントの何処かでスケッチをしているのかもしれない。(2007年12月28日)

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次号のリレー随筆は、カナダ三井住友銀行、道廣剛太郎さんにお願いしました。


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