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Who Canada−著名カナダ人を知ろう ビーバー絶滅を救った、天才作家か詐欺師か グレイ・アウル (Grey Owl) 1888-1938 フリーランスライター 三藤あゆみ 当時、グレイ・アウルが住むビーバーロッジレイク湖畔の小屋を取材で訪ねた撮影隊は、つがいのビーバーが片手に小枝をたくさんかかえ、空いているほうの手で小屋の戸を押し開けて中にはいって来る姿や、グレイ・アウルの膝に頭を乗せて寝息をたてるのを見て驚き感動した、という記録も残っています。 ところが、50歳で病死するとすぐに、グレイ・アウルは詐欺師のレッテルを貼られることに。グレイ・アウルが、「アパッチインディアンとスコットランド人の混血で、流れ着いたカナダの森で大自然の一部として生きてきた賢人」ではなく、実は18歳までイギリスの中産階級の家庭で育ち、本で読んだインディアンに憧れてカナダにやってきた生粋の英国人、本名アーチーボルド・べレニーだったということがわかったのです。 しかしながら、グレイ・アウルことアーチーの残した作品は文学としても記録としても素晴しく、感動的で、彼が自然保護活動に力を注いだことには変わりありませんでした。それで、1970年代ごろ自然保護運動に火がつきはじめると、再び、亡きグレイ・オウルにスポットライトが当たるようになります。彼自身の体験を基に書いた物語『Adventures of Sajo and Her Beaver People(日本語版:カナダの森で - ビーバーとインディアンの少女)』や、『Tales of an Empty Cabin』などは、現在でもカナダならたいていどこの図書館でも見つかるような有名な作品です。 さて、グレイ・アウルになる前のアーチーの生い立ちは・・・。 アーチーボルド・ベレニーは、1888年イギリスのヘイスティングスで生まれました。父親は放浪癖があったり浮気をしたりでほとんど家には帰らず、若すぎた母親はアーチーを自分の姉たちに預けたままで、やがて他の男性と再婚してしまいます。アーチーは両親の愛情を受けることはほとんどなく、2人の叔母によって育てられました。両叔母は保守的で厳しい人だったそうですが、教育熱心で、アーチーにたくさんの本を読んであげたり、ピアノを習わせたりもしたといいます。アーチーは読書家の少年となり、図書館通いが日常でした。そのうちに北米先住民の話やバッファロー・ビルなどのインディアンのヒーローについての本に興味を持つようになり、彼らの生活文化、カナダの大自然などにどんどん魅了されていったのだそうです。 やがて本に出てくるインディアン達のように森の中で生活することを夢見るようになります。野生動物や昆虫や爬虫類をつかまえてきたり、庭や固い床で寝てみたり、サバイバルトレーニングといって1日、2日は何も食べなかったりしたそうです。アーチーを、父とは違った”まともな”ミドルクラスの大人に育てようとする叔母から見たら、とんでもないこと。ますます厳しくなる叔母に対して、ティーンエージャーのアーチーは反抗的になってゆきます。 1906年、18歳の年、アーチーは“農業を勉強する”という名目で、カナダへ旅立ちます。トロントに到着してしばらくすると、アーチーは勉強どころか、さっさとオンタリオ北部の森の中に姿を消してしまいます。そこで出会った男から森林ガイドとなる手ほどきを受け、テマガミの森の住人となります。そしてついに憧れのインディアンたち、オジブワ民族の人々と出会います。アーチーは、自らを「スコットランド系の父とアメリカ南部のアパッチ族の母を持ち、カナダに流れ着いた」と紹介します。オジブワから彼らの言葉やオンタリオの大自然の中で生きて行く方法を教わり、当時盛んだった毛皮貿易のためにビーバーを捕獲するトラッパーとしても腕を磨きます。森のコミュニティに受け入れられたアーチーは、グレイ・アウル(Grey Owl)と名のるようになりました。 オジブワの女性と結婚し子供もできたグレイ・アウルは、しばらくカナダ森林警備のレンジャーとして働きましたが、第一次世界大戦が火蓋を切ると、先住民としてモントリオール部隊に召集されフランス戦線に送られます。そこで負傷し、ガス中毒にもかかった彼は、イギリス軍の負傷者とともに英国へ一時撤退、思わぬきっかけで故郷の土を踏むことに。そして幼い頃、恋心を抱いていた女性に再会し、再び恋に火がついてしまいます。カナダに妻がいるにもかかわらず、なんとその女性と結婚へ。 しかし、やがてアーチーはオンタリオの森が恋しくてたまらなくなり、1人でカナダへ戻ってしまいます。 終戦後のオンタリオの森は無法地帯と化していました。技術の発達とともに自然は人の手によって簡単に破壊されるようになり、先住民の生活環境、自然保護などは全く関知されません。また、ヨーロッパではビーバーの毛皮がさらに高級化し、カナダでもビーバーの乱獲が進み絶滅寸前の状態でした。野生のビーバーが子供を産み育てる季節でも制限なく捕獲し続けたため、取り残された赤ちゃんビーバーのほとんどは死んでゆく状況でした。しかし、戦争から戻って職もなく、森の生活のみを知るグレイ・アウルが食べていくのに手っ取り早いのは、トラッパーとして働くことでした。 そんな中、グレイ・アウルはポニーという女性(オジブワ名アナハレオ)に出会い、大恋愛をします。ポニーのほうもグレイ・アウルに夢中でしたが、彼がビーバーを捕獲して売ることだけはどうしても賛成できずにいました。 ある日グレイ・アウルは、自分のしかけた罠にかかって死んだ母親にとり残された2匹の赤ちゃんビーバーを見つけます。ポニーがどうしても助けようというので、2匹を小屋に持ち帰ったのが、グレイ・アウルの人生を変えるきっかけとなりました。 グレイ・アウルの手記は大好評でした。イギリスで出版され瞬く間に人気ライターとして、またカナダの森に住むインディアンの賢人として注目を浴びるようになります。白人によって先住民たちが虐げられていること、自然の素晴しさと大切さ、止むことのない自然破壊の状況をテーマとする彼の本は、ベストセラーとなりました。グレイ・アウルは、イギリスではバッキンガム宮殿にも招かれて講演し、北米各地の大学でも引っ張りだこに。 マスコミからの過度の注目と超過スケジュールをこなすことで、あまりのストレスにグレイ・アウルは体調を崩してしまいます。酒の飲みすぎもあって体がぼろぼろになった頃、やっとカナダの森に帰郷することができます。しかし、ビーバーロッジにもどって間もなく肺炎が悪化、50歳の若さでその生涯を閉じました。 グレイ・アウルがビーバーたちと暮らした小屋は、今でもサスカチュワン州のプリンス・アルバート国立公園内のビーバーロッジレイク湖畔に保存されており、ハイカーやサイクリスト、クロスカントリーなどの客の立ち寄る場所となっています。また、マニトバ州のライディング・マウンテン国立公園にいた時に住んだ小屋は、国のヘリテージ建築物に指定され、グレイ・アウルの写真、彼がやりとりした書簡やメモが展示してあります。一緒に暮らしたビーバーたちが小屋の壁をかじったあともそのまま残されています。 グレイ・アウルの一生がよく描写されているノンフィクション『Wilderness Man:The Strange Story of Grey Owl』 (Lovat Dickson著)は、『グレイ・アウル 野性を生きた男』として、日本語訳も出版されています。グレイ・アウルに興味のある方におすすめの一冊です。カナダの森を訪ねる前に読めば、大自然の体験をいっそう深みのある感動的なものにしてくれそうです。
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