
リレー随筆
楽しい国シンガポール
夜のエンタテインメントも、デートの仕方も政府主導?
おなじみマーライオン |
好川 輝子 (カナダ三菱東京UFJ銀行)
2年前までシンガポールに住んでいた。小さくてつまらない国と思っていたが、住んでみると意外に面白い国であった。
シンガポールは赤道の近くに位置し、気候は熱帯雨林気候、広さは淡路島ほどの小さな国。人口約430万人、多民族国家で中国系約77%、マレー系約14%、インド系約7%、その他2%弱という人口構成である。狭い国土、少ない人口、天然資源の欠如など、国のおかれた不利な条件を克服すべく、積極的な経済政策を展開してきた。これが奏功して経済は急成長、IMF によれば2007年の国民一人あたりのGDP(購買力平価ベース)は4万9714米ドル(日本は3万3577米ドル、カナダは3万8435米ドル)。アジアでも最高の生活水準を享受しているし、今や日本やカナダより豊かな国である。
「Singapore is a fine country」(「fine」には素晴らしい国という意味と、罰金というが意味がある)と言われるように、シンガポールは厳格な規則で管理されていることで知られている。中でも有名なのはチューイングガム禁止令で、街の美観を守るためにガムの輸入・販売が禁止されていた(注:最近では禁煙ガムなどの輸入・販売は例外的に解禁された)。当然ながら、路上でのゴミやタバコのポイ捨ても罰金。地下鉄・バスなどの駅構内や車内での飲食も罰金(飲むのもダメ)。変わったものでは、地下鉄などの公共の場にドリアン(強烈な匂いのする南国の果物)を持ち込んだ場合、公共の迷惑になるので罰金。ボウフラを発生させても罰金(デング熱発生の原因になる)。また、罰金はないものの、公共のトイレにはいたるところに「使用後は流しましょう」とか「手を洗いましょう」など、まるで小学校にあるような張り紙が張られている。そんな厳しい方針のおかげで、街中はきれい。アダルト雑誌やビデオも当然禁止。クラブやバーなどの運営も厳格な規則で管理されていた。
シンガポールをクリーンな国にしようという政策が徹底し過ぎたのか、シンガポールは「クリーンすぎてつまらない」というネガティブ(?)なイメージができあがってしまった。シンガポール政府はこれを問題視。なぜならば、人口の少ないシンガポールでは、高いスキルを持つ外国人労働者(「Foreign Talent」という)に依存するところが大きく、彼らに来てもらわなければスキルのある労働力が不足してしまうからである。そもそも、シンガポールをクリーンな国にしようという政策が始まったのも、こうした外国人に来てもらうためという理由があったらしい。ところが、あまりにもクリーンすぎると、住んでいても娯楽がなくて面白くないので、外国人に帰られてしまう。シンガポール在住外国人の間では、「シンガポールは3年たてばあきる」とも言われている。これには、シンガポールは規制が厳しいだけでなく、芸術やスポーツなどの娯楽も充実していないこともあると思われる。シンガポールは観光にも力を入れているが、クリーン過ぎてつまらなければ海外からの観光客を惹きつけることもできない。
シンガポール川沿いの「エスプラネード」コンサートホール。
通称「ドリアン」 |
そこで政府は、こうしたネガティブなイメージを覆してシンガポールを「fun(楽しい)」な国にしようとイメージアップ策を開始。当時首相であったゴー・チョクトンは、「シンガポール改造委員会」を設置、様々な規則の緩和・見直しを開始した。そして、従来法律で厳しく規制してきた娯楽やレジャーについて、「社会が十分成熟した」との理由で次々と規制緩和に取り組み始めた。禁止されていたチューインガムの販売が条件付きながら認められることになったのは、この施策の一環である。
2003年には、バーやパブでのダンスに関する規制を緩和。カウンターの上で踊るバートップ・ダンスが解禁となった。それまでは、隠れてバートップ・ダンスを行う店もあったが、見つかれば最高1万シンガポールドルの罰金や営業停止処分を科される可能性があったという。バートップ・ダンスの解禁により、シンガポールのナイトライフも刺激的になったと言われている。
こうした動きを見ていて面白かったのは、バートップ・ダンス解禁前にテレビや新聞などで政治家や有識者らが、「シンガポール社会はもう成熟しているから、バートップ・ダンスぐらい解禁すべきだ。解禁したからって社会が乱れるわけではない」、「いやシンガポール社会はまだ未熟。今までのように政府がいろいろと管理するべきだ」などと、バートップ・ダンスをめぐって真剣に議論が交していたことである。
2005年には40年ぶりにカジノが解禁され、現在、巨大な複合リゾート施設が建設中である。ちなみに、この施設は埋め立て地に建設されている。国土の限られたシンガポールだからである。小国であるシンガポールは、カナダのような国と違って天然の観光資源が少なく、人口のアトラクションで観光客を惹きつけようとしているのである。
2005年末には、パリの有名なキャバレー「クレージーホース」がオープンし、肌を露出した女性たちによる美しいショーが開催された。しかし、娯楽に対する規制がまだ厳しいシンガポールの店では、パリの本店と違ってダンサーはトップレスではなかったらしい。それが原因かどうかわからないが、クレージーホースは業績不振で経営難に陥り、開店から1年あまりで閉店したそうだ。
「シンガポール改造委員会」の一部ではないが、恋愛奨励策という面白い政策もある。先進国同様、シンガポール政府の心配の種は出生率が低下していることである。出生率は日本と同じ1.3人(カナダは1.5人)である。経済維持に十分な人口を有さないシンガポールでは、出生率の低下は特に深刻な問題である。教育制度の充実により高学歴の女性が増え、キャリア志向の高い彼女たちは仕事を優先して結婚を遅らせるか、結婚しても子供をつくらない。政府はこれに対応すべく、子供を生んでもらおう、子供を生んでもらうためには結婚してもらおう(シンガポールでは未婚のカップルが子供をつくるのはまだ社会的に受け入れられていない)、結婚してもらうためには恋愛をしてもらおうということから、恋愛奨励策を実施した。
シンガポール政府は、「ロマンシング・シンガポール」というキャンペーンを開始。2003年から毎年2月に1ヶ月にわたるフェスティバルを主催、「ラブボート」というカップル向けのボートクルーズや、ホテルやスパの割引制度や、レストランのカップル向け特別メニューなど、一連のイベントを開催した。「ロマンシング・シンガポール」は2〜3年前に民間セクターに引き継がれている。また、シンガポールには、異性との接し方がわからない若者向けに、政府機関である社会開発庁(Social Development Unit)が発行したデートマニュアルというものもある(嘘だと思われる方は、http://www.lovebyte.org.sg/web/ent_p_helpsitemap.aspをご覧いただきたい。れっきとした政府運営の恋人紹介サイトである)。政府主導でここまで徹底して少子政策を行うのは、いかにもシンガポールらしい。
「ロマンシング・シンガポール」以外にもシンガポール政府は、いろいろな独創的なキャンペーンを実施するのが得意である。SARSがはやっていたころは、国をあげてSARSの流行を防ごうという「Singapore’s OK(シンガポールはOK)」というキャンペーン、中国経済が発展し中国関係のビジネスが重要になってきたころには「Speak Mandarin(北京語を話そう)」というキャンペーンを実施している。
ところで、シンガポールは競争社会である。こうした国民的気質は「キアス」という言葉で表現されている。キアスとは福建語で人より得をしたい、人より損をするのは嫌、人に負けたくないというような意味である。例えば、シンガポール人は同じものを人より安い値段で買っただけで得した気分になり、そのことを友達などに自慢する。日本人ならばこういう時、嬉しくてもあまり人には自慢しないものであるが、シンガポール人の場合はそれを見せびらかす傾向にある。シンガポール人自身、このような行動は慎みがないという自覚はあるものの、本能的にこうした行動をとってしまうらしい。それで、キアスという言葉は自嘲的に使われている。
このような気質が育ったのは、中国からの華僑によって構成された国であり、国が貧しかった頃から、勝った人と負けた人の差が明らかに違ってくる社会だからではないかと思う。現在でも、大学に入って(シンガポールには大学が少ないため大学進学率は比較的低くて約25%程度)、いい成績をとれば、収入の高い仕事につくことができ、収入が高ければ、豊かな生活ができる。非大卒者とは大きな所得の差が出てくる。人との競争に勝つことで得られるリターンが大きいので、人と競争する価値があるということであろう。これに対して、カナダでは人よりちょっと高い給与をもらっても、高い税金のせいで手取りでは自分より給与の低い人とあまり変わらず、一生懸命働いても無駄、という考え方が生まれがちではないだろうか。まだまだ手厚い公的年金制度(シンガポールにはない)もあるし、医療費は無料(シンガポールは自己負担)だし、仕事を失っても失業保険があり(シンガポールにはない)、がんばらなくても生活が保障されている国では「キアス」という気質は生まれないであろう。
話題がそれてしまったが、これまで次々と独創的・徹底的な施策で成功してきたシンガポールが「fun(楽しい)」国になる日も遠くないかもしれない。Singapore is a fun country.
次号のリレー随筆は、カナダ三菱東京UFJ銀行の安藤隆さんにお願いしました。
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