
Who's
Who Canada−著名カナダ人を知ろう
工場で働いた貧困の高校時代も
コメディアンの夢はあきらめず
ジム・キャリー Jim Carrey 1962年〜
フリーランスライター 三藤あゆみ
カナダ出身、現在、コメディ映画俳優として一番成功しているのが、ジム・キャリーです。主演映画『マスク』や『エース・ベンチュラ』などが世界規模で大ヒットし、その後は映画出演料が二千万ドルに達したこともありました(その作品『ケーブル』は期待ほど売れずに終わりましたが)。
ジム・キャリーは、1962年、オンタリオ州ニューマーケット市でミュージシャンの両親のもと生まれました。本名James Eugene Carrey 、4人兄弟姉妹の末っ子です。子供の頃は、家が貧しいのと母親が病気がちなので苦しい生活を強いられた時期が続きましたが、そんな中でも、コメディアンになりたいという夢はつねに忘れずにいたといいます。
子供の頃から人を笑わせるのが大好きだったジムは、家でも学校でも、物真似をしたりヘンな顔をつくって見せたりと、根っからのコメディアンでした。小学校時代にはすでに教室でスタンドアップコメディショー(漫才のようなものですね)を披露してクラスメイトに大うけしていたそうです。
ジムの父親は、トロントでジャズバンドのサクソフォーンプレイヤーをしていましたが、子供が4人もできて家族を食べさせてゆくのが困難になり、ジャズミュージシャンの夢をあきらめ、会計士の仕事をはじめます。一時は安定した生活が続いたキャリー家も、ジムが中学校に入ってからは父のビジネスは上手くいかなくなって借金をかかえるようになります。母親はいつも病気がち、心身ともに弱かったので外で仕事をして稼ぐこともできず、やがて、父とともにキャリー家の子供たちもスカボロ市にあった工場で住込み勤務をする運命に。ジムは高校に入りますが、毎日8時間の工場清掃の仕事をしながらでは、疲れて勉強には集中できず、宿題もやる気がしません。友達と遊ぶ時間もなく、授業中には居眠り、欠席も多くなり、結局高校は中退。雑誌インタビューで、ジム・キャリーはその頃のことを「誰も彼も嫌なヤツに見えたし、この世には何ひとつ面白いことなんてない、と思った人生最悪の時期だったかもしれない」と語っています。
「これ以上続けると今度は皆が精神的に病気になっちゃうからもう辞めよう。とりあえず、やめ!」と、住む場所がなくなるのを覚悟で工場の仕事を辞める決心をしたのは父親。お父さんは、とにかく根っからのノンビリものだったのかもしれません。一家は家賃も払えない状態だったので、すでに結婚していた長女パットの家の外にフォルクスワーゲンのワゴンとテントを張って暮らすことになります。
スカボロの工場清掃員時代も、ジプシー状態のテント暮らしの時も、果ては家族を食べさせていけないような時期でも、父は、ジムがコメディアンになる夢だけはあきらめないようにと彼をトロントダウンタウンのコメディクラブYUK YUK’Sに連れてゆき、一緒にショーを見たり、観客飛び入りコーナーに出るのを勧めたりしたそうです。
ジムは、15歳のときにはじめて、YUK YUK’Sの飛び入りOPEN マイクコーナに出演して、一般観客の前でスタンドアップコメディーのパフォーマンスをしました。しかし、そのときのステージは「もう二度とやらない!」と思うほど情けなく失敗に終わったのだそうです。
友達や家族を笑わせることができても大人相手のプロへの道を進むには、それはまた違ったセンスが必要なのでした。しかし、ジムはわりとすぐに立ち直り、YUK YUK’Sの常連客に。恥をかいても、やっぱりステージに上がりたくてしかたがなかったといいます。OPEN マイクコーナーにも敗者復活で再度挑戦。物真似や体をはったギャグで笑いがとれるようになり、名を知られるようになっていきました。やがてレギュラー出演者としてスカウトされ、クラブで仕事を得ることに。
スタンドアップコメディで売れはじめたジム・キャリーは、1981年、19歳の年にロサンゼルスに引越し、有名なコメディクラブTHE COMEDY STOREでパフォーマンスするようになりました。やがてアメリカのテレビ出演や、映画の端役が来るようになりましたが、コメディ俳優としてのキャリアがいっきに開花したのは、1994年のこと。日本でも売れた『マスク』、『エース・ベンチュラ』、『ミスターダマー(DUMB AND DUMBER)』の3本が1年以内に次々と爆発的ヒットを遂げたのです。
ジム・キャリー ブームとも言える現象が起き、彼はアメリカの『Newsweek』『Rolling Stone』など主要雑誌の表紙を飾りました。スカボロの工場で清掃員をしていたティーンエージャーのジムを知っていた地元の人々は、本当にびっくりしたようです。
ジム・キャリーは、ゴールデングローブ賞を6つ受賞、MTV映画賞22個、トロント映画祭のピープルズチョイス賞を2度受賞しています。しかし、なぜかアカデミー賞の男優や主演の賞にはちっともノミネートされません。ただ、オスカー賞を発表するプレゼンターには選ばれ、ステージにあがっています。
プライベートライフのほうは、2度結婚して離婚。最初はロサンゼルスのComedy Storeでウェイトレスをしていたメリッサ・ウォーマーさんと結婚、彼女との間には娘がひとりいます。2度目の結婚は、映画で共演した女優ローレン・ホーリーさんが相手でしたが、こちらは1年以内に離婚してしまいました。
マニック(躁状態)コメディアン、見ているほうが恥ずかしくなるぐらい自分を捨てて体をはって笑わせようとする、と言われるジム・キャリーも、プライベートでは、悩みやストレスも多く鬱病が出て医者にかかることもあるそうです。また、厳しくベジタリアンの食事を守っていたり、熱心なクリスチャンで教会に通ったり、アクティビストとしてはミャンマー(ビルマ)の民主化運動指導者サン・スー・チーさんの自宅軟禁解放を支援する運動をしている、という一面も。ハリウッドのスターダムを登りつめ、リッチになったジムは、もちろんオンタリオのバーリントンに住む家族を貧乏から救ったわけですが、その後、兄弟姉妹たちはジムの財産をあてにしたり、甘えすぎたりせず、各自の人生をおくっているとか。お姉さんがバーリントンで市バス運転手をしているのは地元では有名な話です。
≪著者プロフィール≫
三藤あゆみ
フリーランスライター/翻訳家。日本の高校卒業後イギリスへ渡り、後にトロントに移住。トロント大学卒(心理学、東アジア学専攻)。埼玉県生まれ。 |
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