リレー随筆

 

15歳/3巡目



山本 一男
(キャンベルファミリー乳癌研究所 上級研究員)


トロントの生活には特に不満はない。日本の、何ごとにも細かい決まり事の多い生活に比べると、リラックスできることこの上なくむしろ有り難い。それでも困ったことがないわけではない。何だかんだ言っても日本のことが気になることがある。特にスポーツや芸術など、アスリートやプレイヤー、アーティストの活躍がそのまま自分の日常へのエールとなってくれるようなもの。「日本人であること」をいつも突きつけられている外国での生活において、彼らの不断の努力の果てに勝利する姿や、時として力僅かに及ばず敗れ去る姿にさえ我々は勇気を与えられる。その彼らの奮闘ぶりを、ここでは思うように見ることが叶わない。

最近で言えばオリンピックだ。大会8日目までメダルゼロを続けていたカナダでは、どうやら騒ぎたくとも盛り上がる術がないらしい。多くのカナディアンと同じく「フツー」にしていたら、柔道はあっという間に日程を終え、女子レスリングも見逃した。かろうじて北島選手の100メートル金メダルの泳ぎは見ることができたが、さて200メートルはいつかしらん、と思っているうちに終わってしまっていた。ボートやら飛び込みなんかの様子が流れる画面の下に漫然と目をやって、野球やサッカーで日本が敗戦していることを知る。そんな調子だった。極めつけに陸上男子400メートルリレーをミスしたらもうあとはぼんやりと閉会式を眺めるだけになっていた。

開会式ほどではないが、それでもかなり力の入ったセレモニーのテーマは、いつしか中国を離れイギリス・ロンドンへと移っていった。なんだか場違いな2階建ての真っ赤なバスがダンサーたちを引き連れて会場に入ってきた。屋根の上にいつの間にか若い女性が現れていた。一段高いところにいる彼女から、カメラはその傍らにひかえる白髪の紳士に移った。
 「ジミー・ペイジ?」
まさかと目を疑う間も無く彼が抱えたギターを掻き鳴らす。耳を疑うべくもない、全英チャートナンバーワンの座に実に20週も居座ったビートルズの『アビー・ロード』を蹴落とし、ハード・ロック時代の到来を高らかに宣言したレッド・ツェッペリンのセカンド・アルバム、その冒頭を飾る「胸いっぱいの愛を」のハードなギターリフがそこから流れた。

僕がロックに顔を向けたのは高校に入ってからだ。井上陽水に始まり、かぐや姫から河島英五と脈絡なくフォークソングを遍歴し、生ギターとハーモニカに思いの丈をぶつけていた中学生の頃、洋楽にはあまりピンとくるものがなかった。ただ、何回目かのリバイバルブームの中、毎週のように開催されるフィルムコンサートに通っていた友人のUからビートルズだけは聴かされていた。いかにも「ビートルズ」的な人気の高い楽曲よりも、曲想やアレンジに遊び心がふんだんに盛り込まれた小品集、いわゆる『白盤』に心魅かれた。近所の本屋で売られていたピアノ用にアレンジされたコピー譜を買ってきて、コードシンボルを頼りにギターを弾きながら唄ったりした。『レット・イット・ビー』もよく聴いて唄ったアルバムだ。昔みたいにまた仲良くしたいのになぜかうまく引き返せないでいる、そんなほんとうの「どうしようもなさ」が、音楽のレコードという形にパッケージされている。その奇跡は15歳の僕にぴったり響いた。

そのビートルマニアのUは、ポール・マッカートニーを信奉してベースを弾くようになった。卒業式を控えたクラス会では、僕が唄う正やんの「海岸通り」に彼がベースの伴奏を付け、僕のギターで彼が「マザー・ネイチャーズ・サン」を唄った。

曲の練習だ、と言って毎日のように彼の家に遊びに行っていたのだが、別々の高校に行くようになってそれも途絶えた。何ヶ月かしてようやく高校生活にも慣れてきたある日、Uから久しぶりに電話が入った:バンドやろうや。エレキは連れ(大阪では当時、友だちのことをこう表現した)が新しいのを買うたから古いやつを貸したるて言うてる。ドラムはエエ奴がおるんや。ギターはお前しかおれへん・・・こうしっかりと外堀を埋められてはやるしかない。さすがに高校生ともなるとクラスメートの「ロック聴いてる度」はグッと上がって、ちょっと気の利いた奴らはフリートウッド・マックとか10ccの輸入盤を、袋に入れずわざとジャケットを見せるように抱えて歩いてカッコをつけてた頃合いだ。反対に、いいトシこいた大人が想いを伝えられなくていじいじしてるばかりの歌を次から次へと量産してくるニューミュージックの世界に幻滅を感じ始めていたこともあって、少なくとも音的にはずっとスカッと響いていた洋楽というものをとりあえず聴いてみようと思うようになった。

その頃のアマチュアバンドといえば、まずディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」から入るのが定石だった。初めてベースやドラムを触る人間でもちょっと練習すればなんとか真似できるフレーズを組み合わせただけだが、ダークでキケンな香りを実にうまい具合に漂わせることに成功したニクイ曲だ。一本調子であまりひねりの感じられないパープルのサウンドは結局それほど好きになれなかったが、中学生にバンドアンサンブルの楽しさを気づかせるのには大いに貢献したといえよう。ただそれも「ストレンジ・カインド・ウーマン」や「ブラック・ナイト」くらいまでで、それ以上にレパートリーを増やそうとするといかにパープリン(大阪の人間はときどき愛を込めて呼び名に余計なものをくっつける)といえども急激に難易度が上がる。彼らのもうひとつの代表曲、「ハイウェイ・スター」がコピーできるかできないかは、バンドの存続を占う重要な試金石にもなっていた。この曲をクリアできた者だけが高校生になってもバンドを続けることができるのだ。しかしそこまで行き着くと、もうペンタトニックスケールだけで構成されている曲では物足りなくなる。もっと困ったことに、音楽の中身よりも「楽器の腕を磨く」ことに喜びを見出してしまった。そういう流れで高校生バンドの間ではドゥービー・ブラザースが人気を集めていた。スタジオ・ミュージシャンが中心になってできたグループなので演奏に小技が効いていて、タイトなサウンドとキャッチーなフレーズがウリだ。「これを完コピすれば俺達のウマさが証明される」これが理由だ。とにかくこの完コピ、すなわちレコードとそっくり同じように演奏すること、完全コピーというのが重要だった。

そういう音楽仲間を横目で見ながら、それぞれにちょっとひねくれた活動をしながら、Uと僕はそれこそ満を持してバンドを始めようとしたわけだ。普通のことはやりたくないとお互いに思っていた。けれどもようやくロックを聴き始めたばかりの僕には何が「ピン」とくるのか分からない。そんなわけで、洋楽ファンを自認し小遣いのほとんどをレコードにつぎこんでいた何人かの「連れ」の家を訪ね歩いて、彼らのお薦めのグループと思い入れをたっぷりと聞かせてもらった。

ところがその「連れ」たちの家ではレッド・ツェッペリンの音にはついに出会わなかった。「ブリティッシュ・ハード・ロックの王者」として話の中には何度も登場したが、僕の回りでレコードを持っているやつはなぜかいなかった。僕がこうして自分がのめりこめるはずの音を模索していた頃すでにこのバンドは、今から思えば彼らの目指す音楽の頂点を極め、商業的にも大成功を収めていた。デビューしてからの数年間はほとんど休む間もなく世界中をツアーし、71年、72年と立て続けに来日を果たした彼らであったが、当時は長い充電期間にあった。若かった僕らにとっては、そんな「昔の」レコードに貴重な小遣いを費やすよりも、「今」出たばかりの音の方に投資するのは仕方のないことだ。ともかく噂話だけでさんざん「凄いスゴイ」と聞かされた僕は、自分でツェッペリンのレコードを買うことにした。

その表ジャケットは、廃屋のようにボロボロで色あせた壁に、背中を丸めて薪を背負った老人の絵が掛けられただけ、裏面はその廃屋から仰ぎ見たようなイギリスのどこかの街並みの、やはりくすんだ色合いの写真があるだけだった。アルバムのタイトルはもちろん、レッド・ツェッペリンの文字すらない。それだけで「とても異質な何か」の匂いがした。当時のLPレコードの装丁はとても贅沢で、まさに大判のアルバムのように見開いたページの内側にも凝ったデザインが施され、中ジャケットとかインナースリーブとか呼ばれていた。表側のグレーを基調とした写真とはうってかわって漆黒の闇に屹立する岩山を描いたイラストが、わざわざ横倒しにして、つまり山の高さを表現するために見開きページをぶち抜きにして描かれていた。頂上には、預言者のような衣服をまとった老人がランタンを掲げて闇を照らしていた。彼のいる頂上を目指して岩山をよじ登ろうとしているスーツ姿の若者を導こうとしているかのように・・・。昔のレコードはさらに凝っていた。見開いた右側のページにあたる部分がポケットのように細工されそこにレコードが収められているのだが、このアルバムのレコードはご丁寧にもう一重、紙の袋に包まれてそこに入っていた。その紙袋にはまたイギリスの中世を思わせるような飾り文字で、なにやら詩のようなものが綴られている。その裏面の一番上には不思議な4つのマークが並び、その下にようやくアルバムに収録された曲名が記されていた。

そんな、まさしく秘密の扉をひとつひとつ開けていくかのような装丁に心を奪われながら、ようやくレコードに針を下ろす。と、ギターを試し弾きしているかのような不思議なノッキング音が聞こえてくる。一瞬の静寂をつんざいてロバート・プラントのボーカルが無伴奏で飛び込んでくる。一気にワンフレーズを歌いきると、それに呼応するかのようにギターとベース、それにドラムまでもが一緒になったようなユニゾンでウネウネと上り下りするリフを決める。と、またプラントの声が・・・という形でコールアンドレスポンスを決めた後は、またギターとベースがユニゾンで9連符(ぐらいではないかと思う)の変則リフを駆け上がりパワーコードを決める。僕は開始1分5秒で完全にノックアウトされてしまった。テーマリフに輪をかけたような変則ギターソロでさらに頭が朦朧としていると、それに喝を入れるかのようにスネアとシンバルの挑戦的なイントロが始まり、寝たきり老人の腰も動かさんばかりのれろれろのストロークリフに突入する。ストレートだけどひねりあるロックンロールが、ヘビーだけど軽快に疾走する。ずっと息もつけずに聴いていたせいで窒息死する寸前に、遠くから聞こえてくるマンドリンの調べに救われしばらく呼吸を整えることができるようになる。が、すぐにでん、でこ、でん、でこというタイコにのって「返せー、戻せー」と呪文のような叫びが酸欠のアタマに響く。ようやく解放されて落ち着いたところにすっと耳に流れ込むのが、一弦ずつ昇り続けながらふっと踏み外して落ちてくる、どこか哀しいギターのイントロだ。およそ「ロック・ミュージック」の印象とは程遠い叙情的な歌が、何度か這い上がろうともがいてはふり落とされるのを繰り返してコーラスを重ねるうちに、ついに臨界点に到達する。ジャカジャーン、ジャカジャーンのファンファーレで扉が開いたらあとは目眩くロックの饗宴。一気にカタルシスへ・・・。

昔読んだ音楽雑誌の一節に「アビー・ロードのB面のような気持ち」という表現があった。そのライターがどんな「気持ち」をいっていたのかは分からなかったが、恋とか愛とかじゃない、人間が、いや少年が、つまずきそうになりながらもとにかく前に向って歩を進めなきゃいけない、そんな心細いような切ないような、僕には確かにそんな感じがする。何度聴いても同じような感情が沸き起こる。昔のレコードには、A面と、B面と、そしてアルバム全体と、そのアーチストがトータルで伝えたい何かが込められていた。レッド・ツェッペリンのこの4枚目のアルバムも、そんな「何か」が詰まっている一枚だ。その「何か」をどのように言葉にすればいいのかは分からない。いろんな思想やメッセージが込められているのかもしれないが、なんとなく単純に「ロックってこんなにカッコいいんだぜ」ってことを言ってるだけのような気もする。

まるで熱にうかされたかのようになってアルバム一枚を聴き終える。と、すぐにまた聴きたくなって、もう一度レコード盤をひっくり返しA面に針を落とす。二度目はやや落ち着いて聴き直すと、彼らの音楽はもっと深く豊かに響いた。おそらくその日は3度くらいでやめにしたと思うが、それから毎日、小遣いをもらって次のアルバムが買えるようになるまで繰り返し聴いた。2枚目に手にしたのは、ツェッペリンの作品の中でも2番目に評価が高く、彼らにとっても2枚目にリリースされたアルバムだった。冒頭の「胸いっぱいの愛を」は、シングルカットされてヒットチャートにも上った。ハードなギターリフで有名だが、曲は途中から宇宙にとぶ。2コーラスの歌のあと、なぜかヒューヒューと風のうなりに似た空間が現れ、むごごごとなんだか訳の分からないうめき声のような音が挿入される。なんじゃこりゃ、と思っていると、ドラムが割り込んでその空間を叩き壊し、ギターによる短いキメのシークエンスのあとまた元のコーラスに戻る。と思いきや、今度はブレイクをはさんでボーカルの見せ場となる。そしてまた曲は最初のギターリフに戻り、この調子がエンドレスに続くような錯覚を残してフェイドアウトしていく・・・。この曲に代表されるようにツェッペリンの音楽は一筋縄ではいかない。一曲の中にいろいろなエレメントが詰め込まれ、リスナーはいつも思いもしないところへ連れて行かれる。この「ぶっとび感」がたまらないのだ。

そんな彼らの音楽は、ひねくれものの僕とUを納得させるのに十分だった。「ツェッペリンをやるバンド」これでいこ。先にUが仲間に引き入れていたドラム担当のHも同じ方向性で一致した。かくして僕らは、その界隈で唯一のツェッペリン・バンドとなった(世間を知らなかったので唯一と思っていただけだが)。週一回、貸スタジオでの1時間か2時間の練習の他に、僕たちはよくHの家に集まって音を出した。Hのおやじさんは土建屋で、そのせいかHの家もでかかった。そのでかい家の2階の20畳もあろうかという広い空間が彼の部屋だった。その片隅に立派なドラムセットを置き、Hは隣近所への迷惑をあまり気にすることなく毎日力一杯ドラムを叩いた。

余談だが、土建屋の息子というやつは大抵荒くれで腕っぷしが強い。けんかが得意で、世間的には不良と言われる範疇に入るが、根は優しい奴が多かった。しかも家が裕福なのでせこせこしたところがなく、存外に寛容である。Hは同じ中学の同学年だったはずだが、どうもテリトリーが違っていたようで、このバンドを結成して初めて会った。恐る恐る近づいていったのだが、付き合ってみると実に育ちの良さを感じさせるのであった。これまで3人の土建屋の息子と知り合ったが、3人ともそんなかんじだったのでこれは間違いない。

とにかくそんなでかい部屋だから、そこにアンプスピーカーを運び込んで騒音がひとつふたつ増えたところで大した違いは生まれない。そこで僕たちは思う存分ジャムセッションをした。疲れるとベッドに寝ころんでマンガを読んだ。当時、少年チャンピオンに連載されていた『マカロニほうれん荘』が僕らの共通の愛読書だ。美術を愛するまじめな沖田そーじくんが夢一杯の高校生活を始めようと選んだ下宿「菠薐荘(ほうれんそう)」には、無敵のちょー人トシちゃん25歳と40歳のきんどーさんの落第コンビが巣くい、彼の人生を引っ掻き回していく。ポップでロックでアバンギャルド、ちょっとエッチでときどきセンチな青春がいっぱい詰まった、鴨川つばめという天才が生んだこれも奇跡の物語だ。落第コンビが英語教師の後藤熊男、通称クマさんの授業を妨害するために、教室を一瞬にしてロックのコンサート会場に変える。トシちゃん25歳はまぎれもなくジミー・ペイジのドラゴン・スーツに身を包み、極限までストラップを伸ばして股間のあたりでギターを掻き鳴らし、傍らではきんどーさんが、ロバート・プラントよろしく金髪のウェーブをなびかせ、肉体美(きんどーさんの、ではないが)を誇示するためにベストのボタンをはだけてマイクを握っている。狂熱のステージとなった教壇ではマグネシウムがボンボンとたかれ、最高潮を迎えたところで「もーいやーっ、こんな生活!」というクマさんの雄叫びで幕が下りる。他にもクィーンやエアロスミスの連中が思わぬところに顔を出す、ロック少年にとっては痛快この上ないマンガだった。

 

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