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Who's Who Canada−著名カナダ人を知ろう 「 ウェイン・グレツキー」
フリーランスライター 三藤あゆみ
皆さんご存知の元アイスホッケー選手・監督であるウェイン・グレツキー。カナダに住んでいると彼についての情報やニュースはそこらじゅうに溢れているので、このコーナーではついつい後回しにしてしまっていたが、やはり辞書にも名前が載るようなカナディアンを『Who's Who Canada』に登場させないわけにはいかない。 グレツキーは、北米地区のプロスポーツ界で最優秀選手賞を最も多く受けており、1999年4月の引退時点で、61個のNHL(ナショナルホッケーリーグ)記録を保持していた。また、ESPNが1999年に「20世紀最高のスポーツ選手」を選出したときには、1位マイケル・ジョーダン、2位ベーブ・ルース・・・と続くリストの第5位に。 カナダだけでなく、アメリカでもホッケーファンにとても愛された選手だった。引退試合での国歌斉唱は、カナダ国歌は「O Canada, we stand on guard for thee」の箇所が「We're
going to miss you Wayne Gretzky!」と歌われ、アメリカ国歌は「the land of the free」のところが「the land of Wayne Gretzky!」に替え歌されたほど。 オンタリオ州ブラントフォード生まれ。ウェインの父方の家族はロシア出身で、祖父・祖母が米国を経てカナダへ移住。オンタリオのカニングで農業をしていた。ウェインの父は結婚してブランプトン市に住み、ベルカナダで働いていたが、ステージパパならぬかなり熱心な「ホッケーパパ」で、ウェインをはじめ四人の息子たちが小さい頃からアイスホッケーのトレーニングに力をいれた。ウェインは長男で、下には妹一人と弟が三人いる。ブラントフォードにいたおじいさんおばあさん大のホッケーファンで、家族でファームを訪ねると皆そろってテレビのゲーム中継を見て盛りあがったそうだ。ウェインがアイススケートをはじめたのも祖父母の農場だった。3歳になる少し前には、おばあさんのメアリーにホッケーごっこをして遊んでもらったという。
彼が神童と呼ばれるのは有名になった後にできた"伝説"ではなくて、実際、10歳の時に少年チームで85試合378ゴールの記録を出し、新聞社が取材に来るほどだった。14歳になると、ウェインは20歳の若者たちのチームに迎えられてプレーするようになるが、その後すぐに、もっと本格的なキャリアアップのため故郷を離れることになる。 16歳でオンタリオホッケーリーグ所属のスーセントマリー・グレイハウンド(Sault Ste. Marie Greyhounds)で活躍。ウェインが背番号99を着用しはじめたのはその頃である。数字の9は、当時皆の憧れだったゴーディ・ハウ選手の背番号からきているが、ウェインが入ったジュニアチームではすでに他の選手がナンバー9を使っていたので、99番にしたという話。 プロとしてのキャリアをスタートしたのは、インディアナポリス・レイサーズ
と契約した1978-1979シーズン。その後、カナダのエドモントン・オイラーズが契約を買い取り、NHLでの活躍がはじまった。NHLでは、通算20年の現役生活を送る。エドモントンに9年、その後は、ロサンゼルス・キングス、セントルイス・ブルース、ニューヨーク・レンジャースでプレイした。 妻のジャネット・ジョーンズに初めて出会ったのは、オイラーズ時代。アメリカ出身のジャネットは女優でダンサーだった。1984年、『ダンス・フィーバー(Dance Fever)』ショーの審査員としてウェインが出演したときである。しかし、交際しはじめたのはその3年後。約1年で結婚にゴールイン、ロサンゼルス移籍前に行われたアルバータ州エドモントンのセント・ジョセフ聖堂での100万ドルを超える費用の結婚式は有名で、ロイヤルウエディングとまでいわれる盛大なものだった。 1988年、オイラーズから米国のロサンゼルス・キングスに移籍したときは、カナダ人の多くが大きなショックを受けた。カナダの国民的ヒーローがアメリカのチームに入ってカナダ拠点のチームを敵にプレイすることになるのだから、感情的に受け入れられない人々がたくさんいたのは無理もない。グレツキーを売ったと、オイラーズのオーナーがバッシングのターゲットになり、人形が燃やされたりファンがバーで暴れたり、移籍を阻止するよう議員が政府に訴えるまでの騒ぎとなった。 一方、ロサンゼルスではグレツキー移籍のおかげでホッケーファンが増え、観客動員数も大幅に増加。アメリカのホッケーシーンを盛り上げるのに大貢献することになる。 グレツキーの背番号99は、引退後、永久欠番となった。カナダでは、数字の99=Gretzkyという式が成り立っている。数に関連する連想ゲームやクイズのヒントで誰かが「グレツキー」といったら、まず「99」が最初の答えなのだ。グレツキー熱がピークだった80年代後半から90年代にかけては、
グレツキー関連のスラングや表現が流行していた。たとえば、ティムホートンズでLサイズのコーヒーにクリーム9杯と砂糖9匙を入れたのが「グレツキー」("Can I have a gretzky"というふうに使われた)。ポーカーゲームの手99
も「グレツキー」、といった具合。 NHL引退後、グレツキーは冬季オリンピックのカナダホッケーチームでプレイしたり、監督を努めたりしてきた。長野オリンピックにも出場している。しかし、昨年2009年にNHLのコヨーテス監督を辞任、バンクーバー冬季オリンピックチームの監督についても「若手で才能ある監督が他にたくさんいるから」と断っており、これでいよいよ監督としてもアイスホッケーのメジャー舞台から引退という気配だ。 北米プロスポーツを引退した他のスター選手たち同様、グレツキーもホッケー以外にさまざまな活動やビジネスを手がけている。テレビ出演やバラエティ番組のホスト、数多くのコマーシャル出演もそのうちの一つ。エドモントンではソフトドリンクからファッション、ベッドリネン、レンタカー、シリアル、チョコレート、ファーストフード、保険、医薬品、家電などをはじめウェイン・グレツキーの顔が出ている広告は数え切れない。ビジネスでは、ファッションブランド、レストラン(ウェイン・グレツキーズ)、スポーツ用品店を所有、テレフォンカードの会社とライセンス契約したり、ローラーホッケーのリンクチェーン共同経営者でもある。 |