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Who's Who Canada−著名カナダ人を知ろう アイザック・ブロック
フリーランスライター 三藤あゆみ ナイアガラの観光地にクィーンストン ハイツのブロック記念碑(Brock's monument)というのがあります。小さな塔ですが、内側に階段がついていて昇ると小さな覗き穴からナイアガラ川が眺められます。そのクィーンストンハイツに葬られているアイザック・ブロックがいなかったらカナダはアメリカ合衆国の一部となっていただろうと、英系カナダの人は言います。ブロック将軍は、21世紀にはいってもいまだに「カナダの英雄ベストXX」という投票では必ずといっていいほど名の挙がる人物です。 ブロック将軍は若い頃からさまざまな功績を残していますが、1812年の英米戦争の際にアメリカの攻撃からカナダを守って戦死した英雄として一般に知られています。彼は、カナダの著名人にはあまりいないタイプで、“ダイハード”な戦士なのです。イギリスで15歳のときに軍隊に入って以来、何度も死にかけながら任務を遂行し戦い続けたタフな男でした。当時の基準ではルックスのほうも上々だったとかで、日本ならきっと大河ドラマの主人公になっていたでしょう。 アイザック・ブロックは、1769年、イギリスのチャネル諸島にあるガーンジー島で誕生しました。ナポレオン1世が生まれたのと同年です。中流階級の家庭で、父や兄は軍人でした。ブロックは子供の頃から勉強もよくでき、水泳やボクシングなどのスポーツも得意だったそうです。家族の影響でやはり軍人になって国を守りたいと、15歳でイギリス国王歩兵連隊に入隊します。 若い頃から勤勉で怖いもの知らずだった彼はどこに行っても目立ちました。伝記にはそんな性格のブロックの勇敢で命知らずなエピソードがいくつも記述されています。軍隊生活が始まるやいなや連隊内で幅をきかせているある先輩に目をつけられます。その男は拳銃が得意で誰にも負けないのを鼻にかけ決闘好きだったのですが、まだ新入りのブロックに決闘を申し込んできたのでした。ブロックのほうは銃の腕前はまだ中ぐらいといったところでしたが、同僚が必死に止めるのも聞かず決闘を受けて立つことにします。対決の日、自信満々の相手はブロックに打ち合いの距離を決めるよう言います。ブロックは「ハンカチ1枚分だけの距離」と答えます。ブロックが本気であることが分かると、相手は恐れをなしてけっきょく決闘を放棄し、ブロックの勝利となったそうです。 1797年には中佐のランクを得て連隊長となり、コペンハーゲンの海戦へ。そこは激戦地で、決戦の日に彼の連隊は何十人もの兵を失いました。6時間もの交戦の末、接近戦となりブロックはフランス軍の流れ弾に当たって負傷しますが、止血をして30分ほど休むと、起き上がって再び戦闘に加わったという話もありました。 ブロックがカナダへやってきたのは、その4年後。当時のカナダ開拓者たちはまだまだ僻地の厳しい生活を強いられており、イギリスから派遣された軍隊も年々アメリカへの脱走兵が増えるなど問題の多い時期でした。最初は遠征のつもりで任地ケベックにたどり着いたブロックは、任務をしっかりと遂行しながらもヨーロッパに再び配属となることを心待ちにしていたそうです。また、開拓地の住民やカナダ軍をあまり信用しておらず、まさか自分がカナダに骨を埋める事になるとは思っていなかったようです。 本国イギリスのほうは、アメリカとカナダの国境に緊張はあるものの戦争にまでは発展しないと甘くみていたようですが、現地に赴いたブロックは的確な状況判断で、いつでもアメリカ軍の攻撃に対抗できるよう準備を整えはじめました。脱走兵に関してもかなり厳しく取り締まり、疑いのあるものは呼び出して皆の前で服従を誓わせ、また、実際に反乱を企んだ脱走者を捕まえると軍法会議にかけ厳しく罰しました。当時アメリカ軍のほうは、カナダの開拓者たちの多くが実はイギリスから解放されたがっており、攻撃をはじめてしまえば彼らはアメリカ側につくだろうと予想していたといいます。 ブロックは、植民地カナダの軍法改定や、志願兵の受け入れと特別訓練などのシステムを作り、改革を行いました。また、先住民のショーニー族と手を結び一緒になって戦う態勢を作り上げたそうです。しばらくすると、ヨーロッパ勤務の辞令がきたのですが、ブロックはもうその頃にはカナダを守るのが自分の義務と考えるようになり、カナダに残ることを決めました。 そして、1812年6月、アッパーカナダはアメリカ合衆国から宣戦布告を受けます。夏を通して緊張と威嚇が続きます。アメリカを攻撃するのに消極的な当時のアッパーカナダ総督と対立関係となりながらも、ブロックは、先住民軍と協力してアメリカ軍を脅かし続けます。実際、アメリカ軍はアッパーカナダ側の2倍の兵力があったといいますが、ブロックは開拓地の農民や商人にも正規兵のユニフォームを着せ、先住民の同盟軍もあわせてドリルを行ったりした後、デトロイトのアメリカ軍を包囲して砦を無条件降伏させてしまいました。 ブロックは先住民の協力を得るためにしたさまざまな約束を守り、先住民軍のリーダーであるテカムセを裏切らないように戦いや交渉を進めたそうです。テカムセとブロックの間にはしっかりとした信頼関係があったと伝えられています。 デトロイト砦を奪い、国境のアメリカ軍による脅威を取り除いたことは大きな勝利でした。本国イギリスはその功績に対し、ブロックにナイトの称号を贈ることにしますが、その知らせを受ける前にクィーンストンハイツの戦いが勃発、そこでブロックは戦死してしまいます。 ナイアガラ川のほとりにあるジョージ砦にいたブロックは、アッパーカナダ軍の大砲が使えなくなったことを知ると、実は小規模であった攻撃隊を奮い立たせるために自ら最前線に加わりました。第一攻でブロックは手を撃たれて負傷します。しかし、第二攻撃も率いて挑みアメリカ軍を怯ませますが、今度は狙撃兵の弾を受けたのが最期でした。倒れたブロックは、カナダ・イギリス軍にむかって「攻撃を続けろ!」といって息を引き取ったという話もあります。 ブロックに代わる指揮が戦場に到着すると、ずっとブロックが率いてきた第49隊は「将軍のかたきを討て!」と、ときの声を上げて戦闘を再開、激しい戦いの末、アッパーカナダは勝利を収めました。 ブロックは丁寧に葬られ「アッパーカナダのヒーロー」と呼ばれるようになります。葬儀の日には、アメリカ軍側でも礼砲を実施したそうです。彼の墓は、その後4度も場所を移され、テロによって爆破されたりもしています。亡くなった後でさえも、長い間静かに眠らせてもらえないブロック将軍でしたが、現在はブロックズモニュメントの塔の近くに落ち着いています。 ブロック大学、ブロックビル市、ジェネラル・ブロック・パークウェイ(HWY405)、アイザック・ブロック高校など、オンタリオ州でブロック(Brock)と名のつくところのほとんどは、アイザック・ブロック将軍からきているのです。 |