Who's Who Canada−著名カナダ人を知ろう

時代は変わり、危険人物から国際的英雄に
ノーマン・べチューン 
Norman Bethune (1890〜1939)

三藤あゆみ(フリーランスライター)

ペンギンブックスから出ている「EXTRAORDINARY  CANADIANS」という伝記シリーズがあります。カナダ史上重要な人物のなかでも、特に非凡な人生をおくった興味深い人物がとりあげられています。ピエール・トルドー、エミリー・カー、レスター・ピアソン、グレン・グールドなどカナダに住む私たちにとっては馴染みの名前が並びますが、その中に、カナダでは“知る人ぞ知る”が、中国に行けば“ほとんどの人が知っている”というカナダ人がいます。

読者の皆さんは、ノーマン・べチューン(Henry Norman Bethune)について聞いたことがありますか?

スコットランド系カナダ人のノーマン・べチューンは、1890年オンタリオ州グレーヴンハースト(Gravenhurst)生まれ、トロント大学の医学部を卒業した医師、そして発明家、政治活動家です。第一次世界大戦後、デトロイトで初めて私立の診療所を開いて貧しい人々に医療サービスを提供したり、軍医として世界を飛び回り戦地で負傷者を手当てするのに便利な輸血用ワゴンを作ったりしました。また、抗結核薬ができる以前の気胸療法に使用する器具や肋骨用大鋏を開発するなど、様々な功績を残しています。

しかし、べチューンがトルドーやピアソンなどと並び、偉人伝シリーズにとりあげられたのは中国あってこそ。中国本土へ行くと、中学校ぐらいまで教育を受けていればべチューンを知らない人はいないぐらい有名な人物だからです。中国でべチューン(白求恩Baiqiuen)といえば、日本におけるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)よりも、もっとずっと有名。文化大革命当時は中国の小学校のカリキュラムに必修項目としてべチューンについて知ることが含まれていたそうです。

ノーマン・べチューンは、第二次世界大戦中、中国に渡り数え切れないほどの人々の命を救い、中国の近代医療に大きく貢献することになる模範病院を作り、輸血の方法や衛生管理の方法を教えて中国人医師や看護士を育てました。また、医師として尊敬されているだけではなく、中国共産党軍の“同志”でもあったのです。ノーマンは、普段から中国人と共に寝起きし同じ食事をとり、命も惜しまず働きました。毛沢東がノーマン・べチューンの功績について述べた有名な追悼文『記念白求恩』というのがありますが、これが毛沢東による公演論文で最も重要とされる老三篇の中に入っています。

それにしても、なぜトロントの医師が中国大陸に渡って抗日戦争の八路軍の同志に・・・と思われるでしょう?冒険好きで何でもとことんまでやらねば気が済まない彼の情熱的な性格と、頑固であるが人道主義的な部分が、遠い極東の地までノーマンを旅させ、大義のために一生をかけた結果、思いもよらず中国人民の英雄となったようです。

波乱万丈のノーマン・べチューンの人生を短くまとめてみます。

カナダではわりと最近まで「医者といえばスコットランド人」というステレオタイプがありましたが、スコットランド系のノーマンの祖父もやはり医者で、トリニティカレッジ医学部(現在のトロント大学医学部の前身)設立に貢献した一人でした。父マルコムは牧師で妻エリザベスとの間に生まれた三番目の子がノーマンです。一家がトロントに引越してきたのは、ノーマンが3歳のときでした。子供の頃から冒険好きで好奇心旺盛だったノーマンは、6歳ぐらいから一人で散歩に出かけたまま7時間も家に戻らないなどして親を心配させることがよくあったそうです。父親の仕事の関係で14歳までに7回引越しを経験、年を追うごとに放浪癖がひどくなっていったといいます。

ノーマンは成績優秀な生徒で、トロント大学に入学し生物学を専攻しながら将来は医者を志しました。しかし、何かに興味を持ち始めたり使命感に駆られるとすぐに行動にうつさないと気が済まないため、途中で休学したり海外に行ったりと医師の資格をとるまでにはずいぶんと時間がかかったようです。開拓移民労働者を教育するカレッジを作るのに協力し講師をするために休学して木材製作所のキャンプで暮らした時期もありました。第一次世界大戦が勃発すると、こんどはカナダ軍医療チームに志願してヨーロッパに赴きました。まだ医師としての勉強を終えていないため、担架を運ぶ仕事を担当していました。

トロント大学を卒業して正式に医者となったのは、ベルギーの戦地で負傷し帰郷してからのことです。卒業するとすぐに今度は海軍に志願。その後は英国の大学院研究員を経て、アメリカのデトロイトに初の私立診療所を開業しました。デトロイトは産業が発達していましたが街全体が豊かなわけでなく、貧富の差が激しくて、医療においても金持ちは最先端の治療を受け病気から回復するが、貧しい人々はまともな治療も受けられず死亡率も高いという状態でした。ノーマンは、貧困層の患者を救うため自らの生活費まで削り働き続けます。イギリスで出会い結婚した妻がいましたが、そんな生活に耐えられず喧嘩ばかりが続き、離婚。一人きりになり、ろくなものも食べず、仕事の疲労が積み重なるうちに、やがてノーマン自身が結核で倒れてしまいます。

サナトリウムに送られたノーマンは、34歳にしてあとは死を待つのみというような状況にありました。そんなある日ノーマンは、気胸療法を試めすことにします。病気に犯されているほうの肺の患部に針をさして空気を送り込み、感染部を圧力で潰し片肺の機能を停止させることで病気の進行を止めるという方法です。当時まだ実験的に開発されたばかりでたいへん危険とされる、一歩間違えば肺が破裂して死ぬ危険のある手術でした。

幸運にもノーマンは気胸療法でみごとに回復。再び医者として活動できるほどにまで体力を取り戻しました。長期入院費の払えない貧しい結核患者に気胸療法を施せば多くの人の命が救えると、その後ノーマンは気胸療法を徹底的に研究、器具を開発し、それを広めることに全力を尽くしました。しかし、大病院は気胸療法を嫌いました。治療をせず療養入院だけさせておいて患者が亡くなった場合は「結核により死亡」となるところを、手術が失敗すれば「病院で手術失敗により死亡」となってしまうため、誰もリスクを踏みたがらなかったのだそうです。

ノーマンがカナダ共産党員として活動するきっかけとなったのは、学会出席のためのソ連訪問でした。ノーマンは、そこで経済計画と社会主義システムの成功した一面を目の当たりにしたのだそうです。公営の無料医療施設、サナトリウムが健康をとりもどした人々や軽症の患者に働く場を与えるシステムなどに感銘を受けたノーマンは、カナダに帰国すると、医療サービスの無料提供、公営化を提唱し、カナダ共産党のメンバーとなりました。

共産党員となってからは、反ファシズム戦線を支援する活動にも力を注ぎます。スペイン内戦にも軍医として社会主義連立軍の支援に加わりました。

カナダは今でこそ公営医療制度があたりまえのようになっており、オンタリオ州でも無料で医者にかかることができますが、当時、公営医療を提唱したノーマンは、筋金入りの共産主義者と政府からも医療界からも危険人物扱いされる結果となりました。

ちょうどその頃中国では、共産党の八路軍が日本軍を相手に華北で激しく戦っていました。共産党軍の支援のため中国に渡ったノーマンは毛沢東と会見し、八露軍の軍医となります。

ノーマンは中国人と寝起きや食事を共にし、僻地へも積極的に訪れ輸血の方法を指導し、“模範病院”を設立しました。人々はノーマンのファミリーネームであるべチューンをBaiqiuen(白求恩)と中国語式に呼び、「白求恩がついているから、恐れず思い切り戦って来い」というのが軍の合言葉のようになったといいます。日本軍との戦いが激しくなり医療品不足になると、ノーマンは手袋も使わず手術を行うようになります。負傷者が続出した最前線では、休みなしに115人の手術や傷の処置を行い、足りなければ自分の血を使ってまで輸血したというエピソードがあり、ノーマン・べチューンのそんな姿を写した写真が後に中国の切手に印刷されています。

昔なら欧米式の外科手術など受け入れなかった中国人も、戦火の中命を救ってくれる、しかも共産主義を支持するノーマンを大歓迎しました。毛沢東の言った「国際共産主義が中国を救うだろう」という発言が実現したとも言われていました。

当時ノーマンは、「僕は本当に疲れ切っている。それでも今とても幸せで、こんな気持ちになれることは長い間なかった。僕はここで必要とされているんだ」と、カナダにいる友人宛に手紙を書いています。

1939年の秋、ノーマンは、年老いた負傷兵の手術を素手で行う最中に誤ってメスで自分の指を切り、そこから感染して敗血症にかかりました。症状がひどくなっても弱った体を押して、立てなくなるまで医者として仕事をするのを止めなかったそうですが、それがもとで命を落とすことになります。49歳の若さで、河北省唐県黄石口村にて終戦も知ることなくその生涯を閉じました。

カナダ政府は、1970年代にノーマンの出生地グレーヴンハーストに残っていた彼の生家を買い取り、ノーマン・べチューン記念館を開設しました。グレーヴンハーストはトロントの北、アルゴンキンパーク方面に行く途中にあるコテージカントリーの小さな町ですが、この記念館の外にはノーマンの像が建てられ、名所となっています。訪れる人の半分は、やはり中国人か中国系カナディアンだそうです。

1993年には、『Bethune: Making a Hero』という劇場映画が制作されています。DVDを見ると、ドナルド・サザーランドがべチューンを演じていました。

ノーマン・べチューンは現在、中国の河北省の省都である石家荘市にある、抗日戦争で戦死した中国人兵士に捧げる墓地に眠っています。

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