リレー随筆



なぜ人は動くのか? 大阪~広島 しくじり10日間の旅 
NIDEC MOBILITY CANADA Engineering Department Manager  

能勢 隆

 
みなさん、こんにちは。「なんかようわからんから、とりあえずやってみよぉ」「こうやってみたらいいんじゃないかなぁ」「あー、やっぱダメだわこれぇ」を繰り返して毎日を楽しんでいる、能勢と申します。

 さて、今日は、私が大学3年生終わりの3月、つまり、27年前のことについて、思い出しながら書いています。

 私は、1993年2月に、大阪から広島までの330㎞を走って旅行をしよう、と思い立ち、3月に実行に移しました。荷物はほとんどなく、ジャージ姿にバックパック。走るので、バックパックの中身は、こんな感じでした。

・下着予備:1セット
・大阪から広島までの幹線道路が乗った地図のコピー:5枚
・写ルンです:1個
・バックアップのランニングシューズ:1組
・現金:13万円

 できるだけ軽くしたかったのですが、ランニングシューズがマラソン用の薄いシューズだったので、なんとなく不安に思い、底が厚い練習用のランニングシューズを予備でもっていきました。(これが後々、神アイテムとなります。)

 さて、何はともあれ、走り始めました。

 1日目:大阪~明石 約60

初日、単純計算なら一日で33㎞進めばよいので神戸まで行けばよい、と考えていましたが、思いのほか調子が良くて、明石まで距離を伸ばしました。ところが、この判断が二つの「しくじり」を生みます。一つ目は当日。二つ目は二日後。

 まず当日の「しくじり」ですが…明石についたのが夜の6時で、なんと、観光案内所が閉まっていた!のです。当時はスマホなどなく、当日現地で宿を取るのは私の場合、主に観光案内所に頼っていました。少しの間、途方に暮れながら歩いていたら、公衆電話を発見。「そうだ!電話帳!」(昭和の公衆電話には、どこでも電話帳が付いていました。)

 ここで、片っ端から電話をして、ようやく一件、4,000円で泊まれる宿を見つけました。なんか、ちょっと“イカツイ”人が泊まっていたり、風呂のお湯が出なかったり、少し怖い思いをしましたが、泊まれるということだけでホッとしていたので、気にせず爆睡しました。

 2日目:明石~姫路 約40

 この日は、平和な一日でした。翌日、最大の危機が訪れる、とも知らず…。

 3日目:姫路~播州赤穂 約30

 この日、この旅行中の最大の危機が訪れます。中間地点の相生のホカ弁で、昼ごはんに「からあげ弁当」を買って、川のほとりで食べたあと、立ち上がった時に右足の膝の外側に激しい痛みが走りました。最初は少し歩いたら治るかなと思ったのですが、一向に治りません。次の大きな街が播州赤穂だったのでそこまで歩いていこうと思い、痛みに耐えながらなんとか日が沈む前に到着。風呂でマッサージをしっかりやって、就寝したのですが…。

 4日目:播州赤穂~備前 約20

 朝起きても、痛みはまったく取れず(泣)。ここで、予備の靴に変更。薬局で購入したテーピングで膝をぐるぐる巻きにして出発。できるだけの対策を講じて、なんとか20㎞を歩ききります。ほっとして、風呂に入ろうと思ったときに、悲劇が…。

 テーピングを勢いよく外すと、イターーー!!!なんか違う痛みが走ったのです。テーピングがきつすぎて、巻いている一番外の部分が、摩擦で水膨れになってしまっていたのです。あー、やっちまった…。泣きっ面に蜂、とはこのことでしょうか。(三つ目の[プチ]しくじり

 5日目:備前~岡山:約20

 この日も状況変わらず、ひたすら歩きます。歩くペースもわかってきたので、焦らずに着実に前に進みます。無事に中間地点の岡山に到着しました。前半の貯金があったから、5日で中間地点の岡山にたどりつけたとも言えますし、前半のオーバーペースでケガをしてしまった、とも言えます。

 610日目:岡山~里庄~尾道~本郷~八本松~広島:160㎞(ほぼ毎日同じ距離)

 6日目、転機が訪れます。歩き始めてみると、痛みがほとんど出てきませんでした。倉敷まで歩いてみて、恐る恐る走り始めてみました。走れました! この時は、本当にうれしかったです。あぁ、予備のシューズ持ってきてて良かった、これで広島まで行けそうだ、と。

 この後は、前半の反省を踏まえ、オーバーペースにならないように、栄養や休養にもしっかり気をつけて後半5日間を過ごしました。そして、10日目、とうとう広島に到着。生まれて初めて原爆ドームを見学し、広島焼きを食べ、広島を満喫し、終わりよければすべてよし、と思ったら、最後のしくじりが待っていました…。

 なんと…新幹線の終電が出てしまっていました(泣)。しまったー!そんなに早いのか、終電!窓口で大阪まで帰る方法が無いか聞いたところ、「夜行バスがあるよ、だた、もう販売は終わってるから、直接行ってバスの運転手に聞いてみな」ということで、バス亭までダッシュ! なんとか間に合いました~♪

 さて、最初から最後までしくじりを繰りかえしながら、運に助けられた私。この旅を通じて得たもの。

・多少しくじっても、なんとかなる。
・まず行動をしてみると、なんか発見があるものだ。
・無理しすぎると、反動が来る。自分を信じて、ペースを落とすことも重要。

 こんな感じで思っていました。

 でも、しばらくして、思いがけないことが発生しました。「高校時代の野球部の一学年下の後輩が、大阪から名古屋(200)まで走ろうとした!」

 結局、京都までで終了。理由は聞いていません。ただ、伝え聞いたのは、私が広島まで走ったという話を聞いて、「俺も、って思った」らしい、ということ。

 逆に私は、彼の行動から、このように感じました。「こんな自分でも、何か行動を起こすと、動いてくれる人がいるのだ」

 この小さな成功体験と、小さな自信が、今でも私を支えてくれている心の柱の一つであるような気がします。

 さて、すっかり話が長くなりましたが、タイトルでの問いかけ「なぜ人は動くのか?」に対する答えですが、私の中で一つのまとまった答えは、いまだにありません。

 ただ、私は、「なぜ人は動くのか?」という問いに直面したときに、こういう経験に立ち戻って考えるようにしています。その時々の状況や自分の心境などで、過去の経験が違って見えたり、出てくる結論が違ったりするのが、これまた不思議で、面白かったりします。

 みなさん、カナダにももうすぐ春がやってきます。何か新しいチャレンジをしてみませんか? 思いつきの行動も、たまにはいいと思います。

 それでは、みなさん、お元気で~♪

 

あとがき

 今回のお話は、スマホどころか、携帯電話も無かった時代のお話です。(正確には、携帯電話はありましたが、肩から担ぐタイプが出たばかりで、値段は30万円、重量も到底走るときに携帯できるようなものでは無かった…。(笑)

 「物」という制限がある中での旅でした。加えて「位置の把握」や「到着時間予測」が曖昧で、「到着してみないとわからない宿の存在と空き状況」の不安に加え、「明るいうちに動かないと危ない」という緊張感もありました。

 お 気づきの方も多いと思いますが、後者の不安や緊張感はスマホ一台ですべて解決してしまいます。この便利さゆえに、走りだすハードルが低くなり人々の行動を 加速させている、とも言えるし、逆に不便な時代なら得ることができた特別な感動がなくなってしまっている、とも言えますね。

 しかし、もっとさかのぼれば、江戸時代には、日本地図も無かったし、ランニングシューズも無かった。この話も、江戸時代の人が見たら、なんと贅沢な、って思うのでしょうね。それでも、そこには、それぞれ、何かしらの感動があったりすると思います。

 今 なら、スマホを120%駆使した上で、まだ経験したことのないことにチャレンジしてみたりすると、また違った感動があったり、発見があったりするのかな、 と思います。そこに目的が無くても良いと思うし、むしろ無い方が良いのかもしれません。なぜなら、それがAIにできなくて、人間にできることだから、と思 うわけです。(了)



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