リレー随筆 少し手抜き 小澤カナダ サービス部 伊藤 純史
今日の朝食もご飯と味噌汁。味噌汁は顆粒だしで作るような適当なものだがそれでもやっぱりお腹が落ち着く。野菜を多めに入れてボリュームを上げる。
使い古された言い回しだが、日本食を食べている時に幸運を感じる。しかし昔からいつもそのように感じていたわけではない。
頻繁に自炊を始めたのはイギリスに留学した時だ。人生初めての短期留学でほんの短い間だったが他の人と同じ家に住み、そこで自炊をする機会があった。まだ
インターネットが今ほど発達していないころだったので手がかりもなく、失敗を繰り返しながら色々と作ったのを覚えている。見慣れない材料を使って料理をす
るのが楽しかった。
その頃は日本食を敢えて作るということもせず、またそこまで恋しくもなかった。同居していた人がある日カレーを作って食べながらすごく嬉しそうにしていた
のが印象に残っている。カナダに初めて来たワーキングホリデーの時も1年間滞在したが日本食が恋しかったという記憶がない。
帰国してしばらくたってから現在の妻と結婚してカナダに移住してきた。運よく今の会社で働き始めトロントにおける日本食の変化を今まで見届けることができた。
昔でも日本食を作ろうと思えばできたが、今とは断然違う。ほんの少しでもその変化の一端を担えたことは誇りに思う。また居酒屋やラーメンなどの人気がここまで出たおかげで本格的な日本の料理が食べられるようになったのは夢のような話だ。
家で作ることが最近は増えた。前に比べると作った事のない日本食を作ることも増えた。インターネットのおかげでレシピが手に入りやすくなったため思いついたレシピを手軽に検索して作ることができるようになった。
ふと思いつくレシピというのは昔よく食べたものだったりする。母の料理で育ったため、母が昔作ってくれたような料理をふと思い出し作ることが多い。好き嫌いは無かったが、好物はと聞かれると少し困る。若かったため唐揚げやとんかつ等の脂っこいものが好きだった。
しかし今ふと思って作りたくなる料理は小皿に乗って横に置いてある煮物のようなものばかりだ。何と呼ぶのかのさえ分からないようなものが多い。そんなでも何とかレシピを見つけてみる。
最近気づいたのは、母も意外と手を抜いて料理をしていたんだなということだ。当然の事で、忙しい合間を縫って育ち盛りの子供に毎日料理を作ってくれていたのだから感謝の気持ちしかない。
自分が作る料理も母の味に似てきたと思う。もちろんベテランの主婦である母の腕前に敵うはずもない。しかし似通っているのは同じように手を抜いているからなのかもしれないと思い気が和む。昔から周りに姉は父親似で俺は母親似であると言われた。その通りだと思う。
母は数年前に他界した。母の料理をもう一度食べたいと思ってもそれは叶わない。だから自分自身が作った料理が少しでも母の料理の味に近くなったことは幸運だと思っている。
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