オンタリオで活躍する日本人に聞く


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ピアニスト&シンガーソングライター
永松 ちひろ(Chihiro)さん

今 回はシンガーソングライター、ピアニスト、オーディオエンジニアとして音楽の分野で様々な活躍をされている永松ちひろさんへお話を伺いました。幼少期より ピアノを始め、10歳の頃に初めて自身で作曲。東日本大震災をきっかけに「自分の曲を多くの人に届けたい」という思いから、本格的に活動を始めました。

また、自分のやりたいことをやりたい、と2013年に単身でトロントへ。移民の街トロントで様々な音楽に触れ、現在は音楽スタジオNumber 9 Audio Groupにてエンジニアとして、レコーディングを手掛けています。

何事も前向きに積極的に挑戦し続ける永松さん。10月には自身のピアノアルバムも発売され、また、11月にはトロントの映画制作コンテストにてベスト映画音楽賞を受賞されました。今後もカナダでの活躍が期待されます。

(酒) こんにちわ。お久しぶりです。数年前、私の働いていたレストランでChihiroがライブをやっていたのがきっかけで、それからのお付き合いです ね。その頃から積極的にライブ活動をしたり、最近ではアルバムも発売されたりと、相変わらずの活躍ぶりですね。本日は改めて、色々お話を伺いたいと思いま す。まず永松さんのご職業についてお聞かせ下さい。

(永)本当に。どれくらいぶりでしょう、お元気でしたか?こちらこそよろしくお願いし ます。私はピアニスト&シンガーソングライターとして演奏活動をして います。クラシックとJazzをミックスしたような音楽です。残念ながらコロナが始まってから、演奏活動は全然出来ていませんが、レコーディングや曲のリ リースは続けています。また、Number 9 Audio Groupというスタジオでエンジニアとして、ミュージシャンのレコーディング等を手掛けています。

(酒)様々な活動をされているんですね。音楽に携わるようになったきっかけについて、お聞かせ下さい。

(永)クラシックのピアノを3歳の時から習っていたのが一番初めですね。ピアノは中学校を卒業するくらいまで続けていました。実は父がシンガーソングライターだったというのもあり、家の中でも歌を歌ったり、作ったりというのを聞きながら育ちました。

ピ アノのレッスンを辞めた後は、よく自宅で即興をしていました。10代の思春期の頃だったので、友人と喧嘩したり、感情的になったりするとピアノの前に行っ ては演奏をして、気持ちを穏やかにしていました。両親が喧嘩をした後の雰囲気が良くない時にも、綺麗な音楽を奏でるようにしていましたね。

(酒)その頃から作曲をされていたのですね。

(永)その頃は「作っていた」というよりも「自分の想いを音楽にのせていた」という感じの即興曲でしたので、曲までにはなっていませんでした。

そ れまでは、ピアノは趣味として演奏していましたが、2011年の東日本大震災が起こったとき、多くの行方不明者や被害の大きさに大変ショックを受け、そ の思いをピアノで表現していました。そんな時、実家の母に「ちいちゃん、そろそろその音楽を他の人へ届けてみたらいいんじゃないかな?」と言われました。 その言葉をきっかけに、私の音楽を他の人に聞かせたいと思うようになりました。

(酒)具体的に、どのようなことをされましたか。

(永) 即興した曲をレコーディングして、被災者の方へのメッセージと一緒にYouTubeへのせました。反響の多さに、とてもびっくりしました。それから 自分のやりたい事の一つとして、海外へ行きたい、英語を学びたいという思いをずっともっていたので、その後2013年1月末にカナダへ来ました。

(酒)なぜ、トロントを選んだのですか?

(永)ローカルの方からもよく聞かれましたね(笑)。 当時、イギリス、カナダ、オーストラリアと迷いました。そんな中、トロントは移民が多く英語の発音もとてもきれいに聞こえたので、カナダを選びました。

(酒)カナダではどんな音楽活動をしましたか?

(永) 最初の6カ月は語学学校へ行き、その後ワーキングホリデーのビザに切り替えました。当時、モデルの募集があり応募してみたんですが、そこでプロ フィール写真を撮影して下さったフォトグラファーに、撮影時に「趣味は何?」と聞かれ、「ピアノを弾くのが好き」と答えたところ、「僕がオープンマイクの イベントを毎週月曜日に開催しているから観においで!」と言われたのをきっかけに、Grossmans Tavernへ行くようになりました。

そこで即興曲を披露しているうちに、オーディエンスから温かい言葉をもらうようになり、改めて音楽がやりたいと確信しました。Grossmans Tavernでの演奏をきっかけに、他のバーやレストランで演奏の機会を頂くようになりました。

トロントはライブ演奏ができる場所が多いんです。そういうお店ではPAといって、スピーカーやマイク、マイクスタンドなど音響機材がレストラン等に置いてあり、ミュージシャンが自分の楽器をもって行けば演奏できるようになっています。

そ の中で一番刺激になったのは、様々なジャンルの音楽に触れたことですね。例えばブルースやフォークソング、JAZZ、ラテン・アフリカンミュージックな どです。日本にいた時はクラシックやアニメソング、J-popしか聴いていませんでしたので、ローカルのミュージシャンの演奏はとても刺激的でした。

(酒)そんな風に手軽に演奏ができるなんて、知らなかったです。Number9で働き始めたきっかけは何でしたか?

(永) カナダで1年間、オーディオプロダクションの学校に在籍していました。主にエンジニアやプロデュースの勉強をするためのコースでしたね。卒業後、演 奏活動を通じて知り合ったベーシストの方が、Number9でよくレコーディングをしているという話を聞き、早速連絡しました。そこで、レコーディング セッションの手伝いの機会を頂き、それをきっかけに働き始めました。numnber9

(酒)自らチャンスを切り開いたんですね。学校生活はどうでしたか?

(永) プログラムは3学期ありましたが、1学期はずたぼろでしたね(笑)。というのも、以前語学学校に行ったとはいうものの、ネイティブしかいないクラス に馴染める程の英語力は当時なかったので、授業も半分わかったといえばウソになるくらいでした。なので、最初の方はクラスメイトからノートを借りて、放課 後に自主的に勉強をしていました。

そういったクラスメートの協力の元、もともと真面目に勉強する性格だったこともあり、卒業時にはクラスでトップの成績を取ることが出来ました。

(酒)すごい努力家ですね。スタジオでは主にどのような仕事をされていますか?


(永)基本的にはエンジニアという立場になるので、レコーディングの際のマイクのセッティング、音量や音色の調節、またレコーディング中のコミュニケーションなどもやります。

ボー カルのレコーディングに来られるシンガーの方は、一人で来られることも多いん ですが、その際は、どのテイクが良かったかと聞かれるので、「○○番目が良かったけど、もう一回感情を込めて歌ってみる?」といったように、ミュージシャ ンの方の希望を第一に、アドバイスなどをしています。

女性のオーディオエンジニアも少ないのですが、特にクラシックのピアノを習っていたオーディオエンジニアは珍しいので、音楽の知識があることをとても喜んでもらえたりもします。

(酒)コロナ禍の中、レコーディングスタジオの仕事はどのように行われていますか?

(永)レコーディングする人は減っていますが、6月末あたりからアポイントメント制で再開しています。毎度セッションごとに除菌をしていますよ。マスクも着用ですね。あっ、歌うときはもちろんマスクを外して大丈夫です(笑)。

レコーディングはセッションによってかかる時間が違うので、短いものだと1時間、長いものだと8時間かかることもあります。

ま た、昨年の秋より映画音楽の作曲にも関わるようになり、今のところ短編映画の作 曲をいくつかしました。演奏ももちろん好きなんですが、自分が一番自信があるのが作曲なんです。カナダで音楽活動を始めた頃から自分の曲を書いていました が、月日を経て、プロデュースやレコーディング、アレンジなどもできるようになりました。

よ うやく自信が持てるようになり、友人たちに映画ための作曲がやりたいと伝え始め ました。もう自分の中で準備ができたと思ったので。そうすると音楽仲間が情報を教えてくれて、色々な場所に顔を出すようになったんです。それが去年の春く らいでしたね。そこで知り合った人達から少しずつ広がっていきました。

(酒)最初に関わった映画はどのようなものでしたか?

(永) 『The Littlest Parchitect』という7分くらいの短編映画を48 Hours Film Project というコンテスト用に制作しました。48時間で内容制作と撮影と作曲と編集などを全部終わらせるという内容だったんですけど、48時間といっても作曲する 時間が48時間あるわけではありません。金曜日の夜、まずはどんな映画を制作するのかという構想から始まり、土曜日に撮影、日曜日の夕方までに編集して提 出というスケジュールでした。

そ ういった状況で、映画のジャンルも、 くじ引きで決まります。私のチームはミュージカルでした。撮影が始まる土曜日には、メインとなる歌が必要だったので、土曜日の朝に作曲を始め、一曲できる とすぐに現場へデモを送り、それを便りに口パクでミュージカルの撮影。合計3曲作りました。その後映画の撮影・編集中に私はアレンジをし、俳優さんたちの ボーカルのレコーディングをして、ミキシングをして仕上げました。

短時間での作業は大変でしたが、この音楽の評判が良く、これをきっかけに、他の映画の作曲もさせてもらうようになりました。

(酒)機会があれば、是非観てみたいです。最近アルバムを発売されたとお聞きしました。

(永)はい。10月21日にピアノソロのコレクションアルバム『15 Years of Majestic Notes』をリリースしました。全部で9曲入りのオリジナルアルバムです。album

今 回はコロナの影響で自宅にいる時間がたくさんあったので、普段よりプロダクショ ンに時間を費やす事ができました。ボーナストラックとして、私が10歳の時に初めて作曲した『海』という曲がはいっています。レコーディングの際、曲自体 なんとなくは覚えていましたが、やっぱり最初から最後までは覚えていなかったので、母親に昔の楽譜を引っ張り出してもらいました。2、3週間かかりました ね(笑)。

(酒)アレンジなどはされましたか?

(永)いえ、表現の仕方などは10歳の頃と違うかもしれませんが、ほとんどオリジナルのままですね。

(酒)10歳の頃からの様々な思いが込められている曲ですね。自身の楽曲のレコーディングをNumber9でされることもありますか?

(永)はい、何度かピアノやボーカルのレコーディングをさせていただきました。実は、一番最初にNumber9スタジオにてレコーディングをしたのは、このアルバムにも入っている『Beyond The Beat』という曲で、オープンマイクでの演奏を始めた頃でした。

そ のきっかけは、その曲をバーで演奏した時に、オーディエンスの中にいたミュージ シャンの一人がとても気に入ってくれて、レコーディングに連れていってくれました。そのスタジオがNumber9だったんです。その時は、まさか数年後に 自分がそこで働き始めるなんて、夢にも思いませんでした。

(酒)すごい偶然ですね!それでは、今後の夢や目標についてお聞かせ下さい。

(永) 規制がなくなったら、アルバムリリースのコンサートをやりたいですね。やは り生演奏とスピーカー越しに聞く音楽って違うと思います。顔を見ながら、その時にしかない雰囲気を感じながら音楽が共有できるように早くなってほしいです ね。今は一日でも早くそんな日が来るのを待ちながら、オーケストラへのアレンジやプロダクションに力を入れていきたいと思っています。

あとは作曲です。フル映画の作曲ができたらいいなと思っています。将来の夢としては、日本のアニメや映画の音楽に携わりたいです。熊本出身なので、熊本に関係があるプロジェクトも参加できたらいいなと思っています。

(酒)本日はお忙しい中、ありがとうございました。

ウェブサイト:https://chihiromusic.com/
アルバムリンク:
7digital:  https://ca.7digital.com/artist/chihiro-nagamatsu/release/15-years-of-majestic-notes-13180514
iTunes:  https://music.apple.com/ca/album/15-years-of-majestic-notes/1534462437






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